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【リレーコラム】まぬけだわ(格好で本音が)完全にばれてる——DREAMS COME TRUE吉田美和の歌詞世界×ファッション試論(島袋海理)

PROFILE|プロフィール
島袋海理
島袋海理

名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士後期課程。専門は教育社会学,ジェンダー/セクシュアリティ研究。同性愛者へのインタビュー調査をもとに,若年同性愛者のセクシュアル・アイデンティティ形成に関する社会学的研究を行っている。論文に,「性的マイノリティに対する文部科学省による支援策の論理――性別違和と同性愛の相違点に着目して」(『ジェンダー研究』23号,2020年),「性の多様性教育実践をめぐる一考察――「性のグラデーション図」の三つの落とし穴に着目して」(『現代思想』50巻4号,2022年)などがある。

ファッションは自己表現のツールだという考えがある。自分がどのような人間なのかを他者に示すために,人は自分らしい恰好や自分の好きなファッションを身にまとう,というわけである。こうした考えの背後には,自分のファッションを決断する個人の意志がファッションの選定に先立って存在するという想定があるように思われる。
本稿はこうした想定とは異なる,新たなファッション像について考えてみたい。題材として取り上げるのは,1989年にメジャーデビューし,これまで数多くの曲を世に送り出してきたDREAMS COME TRUEが1990年にリリースした「Ring! Ring! Ring!」である。DREAMS COME TRUEのすべての楽曲の作詞はボーカルの吉田美和によって手掛けられている。
本稿は「Ring! Ring! Ring!」を題材として吉田美和の歌詞世界をファッションの情報に着目して読み解いていきたい1。 
Ring! Ring! Ring!の1番は,「“近くにいるから”と ヤツの誘い」を受けた主人公2が「しょうがないから行ってあげる」(LO, 20)とあまり乗り気ではないように振る舞いながら支度をするというものである。

少しだけだよ ホントホント 慌てて服選んでるわりに

暇だったからよ ホントホント お気に入りのスカートはいても(LO, 20)

上の歌詞は冒頭の歌詞であるが,“少しだけだよ”“暇だったからよ”と話すものの,“服選び”“お気に入りのスカート”というファッションの情報が,乗り気でないように振る舞う主人公に潜む〈本音〉を示唆している。自分でもその本音には薄々気づいているようだが,それを乗り気でないという〈建前〉で覆い隠し,その建前が正しいと繰り返し自分に言い聞かせていることが“ホントホント”に表れている。
「ダッシュで身支度整えて 自転車風を切ってぐんぐんこいでる」「スカートの裾押さえもせずに 気づいたら必死でペダル踏んでる」(LO, 20)という歌詞からも,ファッションの情報を媒介にして主人公の本音が明かされる。ヤツの誘いに乗り気でないように口では言うものの,主人公は自分のお気に入りの格好をして早く会いたくて仕方がないのである。
2番の終盤でヤツのもとへたどり着いても,主人公は「何食わぬ顔で挨拶して ‘早く来てあげたよ’なんて言いながら」(LO, 21)と,あくまでも乗り気でないという建前を崩そうとしない。しかし,主人公がひた隠しにしてきた本音は,またもやファッションによって露わになる。

今日はずいぶん目が優しいのね いつもより10倍くらい笑ってる

ふと駅前にある鏡覗けば 髪はぐちゃぐちゃ おでこ全開

まぬけだわ 完全にばれてる(LO, 21)

乱れた髪型によって,主人公が急いで駆けつけたことがヤツに知られてしまった。身支度で「起」,自転車で向かい「ヤツ」と合流する「承」と続き,ここまで保持してきた建前が崩され,主人公が本音を隠せなくなったところで物語は「転」を迎える。すると主人公は「肩の力が抜けておしゃべりにな」り,「ちょっと何よこれ楽しいじゃない ちょっとこういうの嬉しいじゃない」と,本音を隠さずに「ヤツ」と接することの喜びを知る(LO, 21)。自分の自転車こと“愛車”をヤツにみせた主人公は,その自転車を運転するヤツの背中にしがみつく。「さっきよりずっと加速度をつけて 楽しい気持ちも加速度をつけて…」(LO, 21)という歌詞で幕を閉じる。
Ring! Ring! Ring!を締めくくるこの一節が秀逸なのは,主人公の〈建前〉と〈本音〉が一つの自己として融解していくからである。「起」における「スカートの裾押さえもせずに 気づいたら必死でペダル踏んでる」(LO, 20)においては,無意識に「必死でペダル踏んでる」自己に主人公が「気づ」くという構造になっている。ここでは,ヤツに早く会いたくて必死に自転車を漕ぐ私に,主人公自身がついていけていない,すなわち〈本音〉の自己と〈建前〉の自己とに距離があることが示唆されている。
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