2022.04.15

【リレーコラム】まぬけだわ(格好で本音が)完全にばれてる——DREAMS COME TRUE吉田美和の歌詞世界×ファッション試論

PROFILE|プロフィール
島袋海理
島袋海理

名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士後期課程。専門は教育社会学,ジェンダー/セクシュアリティ研究。同性愛者へのインタビュー調査をもとに,若年同性愛者のセクシュアル・アイデンティティ形成に関する社会学的研究を行っている。論文に,「性的マイノリティに対する文部科学省による支援策の論理――性別違和と同性愛の相違点に着目して」(『ジェンダー研究』23号,2020年),「性の多様性教育実践をめぐる一考察――「性のグラデーション図」の三つの落とし穴に着目して」(『現代思想』50巻4号,2022年)などがある。

ファッションは自己表現のツールだという考えがある。自分がどのような人間なのかを他者に示すために,人は自分らしい恰好や自分の好きなファッションを身にまとう,というわけである。こうした考えの背後には,自分のファッションを決断する個人の意志がファッションの選定に先立って存在するという想定があるように思われる。

本稿はこうした想定とは異なる,新たなファッション像について考えてみたい。題材として取り上げるのは,1989年にメジャーデビューし,これまで数多くの曲を世に送り出してきたDREAMS COME TRUEが1990年にリリースした「Ring! Ring! Ring!」である。DREAMS COME TRUEのすべての楽曲の作詞はボーカルの吉田美和によって手掛けられており,本稿は「Ring! Ring! Ring!」を題材として吉田美和の歌詞世界をファッションの情報に着目して読み解いていきたい1。 

Ring! Ring! Ring!の1番は,「“近くにいるから”と ヤツの誘い」を受けた主人公2が「しょうがないから行ってあげる」(LO, 20)とあまり乗り気ではないように振る舞いながら支度をするというものである。

少しだけだよ ホントホント 慌てて服選んでるわりに

暇だったからよ ホントホント お気に入りのスカートはいても(LO, 20)

上の歌詞は冒頭の歌詞であるが,“少しだけだよ”“暇だったからよ”と話すものの,“服選び”“お気に入りのスカート”というファッションの情報が,乗り気でないように振る舞う主人公に潜む〈本音〉を示唆している。自分でもその本音には薄々気づいているようだが,それを乗り気でないという〈建前〉で覆い隠し,その建前が正しいと繰り返し自分に言い聞かせていることが“ホントホント”に表れている。

「ダッシュで身支度整えて 自転車風を切ってぐんぐんこいでる」「スカートの裾押さえもせずに 気づいたら必死でペダル踏んでる」(LO, 20)という歌詞からも,ファッションの情報を媒介にして主人公の本音が明かされる。ヤツの誘いに乗り気でないように口では言うものの,主人公は自分のお気に入りの格好をして早く会いたくて仕方がないのである。

2番の終盤でヤツのもとへたどり着いても,主人公は「何食わぬ顔で挨拶して ‘早く来てあげたよ’なんて言いながら」(LO, 21)と,あくまでも乗り気でないという建前を崩そうとしない。しかし,主人公がひた隠しにしてきた本音は,またもやファッションによって露わになる。

今日はずいぶん目が優しいのね いつもより10倍くらい笑ってる

ふと駅前にある鏡覗けば 髪はぐちゃぐちゃ おでこ全開

まぬけだわ 完全にばれてる(LO, 21)

乱れた髪型によって,主人公が急いで駆けつけたことがヤツに知られてしまった。身支度で「起」,自転車で向かい「ヤツ」と合流する「承」と続き,ここまで保持してきた建前が崩され,主人公が本音を隠せなくなったところで物語は「転」を迎える。「結」に入ると主人公は「肩の力が抜けておしゃべりにな」り,「ちょっと何よこれ楽しいじゃない ちょっとこういうの嬉しいじゃない」と,本音を隠さずに「ヤツ」と接することの喜びを知る(LO, 21)。自分の自転車こと“愛車”をヤツにみせた主人公は,その自転車を運転するヤツの背中にしがみつく。「さっきよりずっと加速度をつけて 楽しい気持ちも加速度をつけて…」(LO, 21)という歌詞で幕を閉じる。

このようにRing! Ring! Ring!においてファッションは,他者に提示する建前に先立つ本音を象徴するものとして提示されている。見事な起承転結の構造を持つこの歌は,主人公が「強気な自分」という建前によってではなく自分らしく相手と接するようになるまでの過程を描いている。その際建前に先立つ本音を表象するのが,服装や髪形などのファッションの情報であった。

“言葉や思考は取り繕えたとしても,ファッションは嘘をつけない”と言わんばかりに,「強気な自分」「乗り気でない自分」という建前に覆い隠され,主人公が直視しようとしない本音をファッションの情報が示唆していた。そして主人公は,ファッションを通じてヤツを意識した行為においてことごとく取り乱してしまう自己,すなわち建前に潜む本音と出会い,自分らしく他者と接することの喜びを悟るのである。

本稿は吉田美和の歌詞世界の分析を通して,確固たる自己によって選びとられるものとしてのファッションではなく,確固たる自己に先立つ本音の表象としてのファッションという新たなファッション理解を明らかにした。

最後に,吉田美和の歌詞論について若干の私見を述べたい。本稿執筆にあたって,吉田美和の歌詞世界がこれまでどのように分析されてきたのかを調べてみたが,吉田美和の歌詞を吉田美和自身の境遇と重ねて解釈するものが大半で,歌詞世界それ自体を主題に据えた分析は少なかった。J-POPの歌詞論において,吉田美和の歌詞世界はいまだ詳細な分析の進んでいない未踏の地であるように思われる。本稿をきっかけに吉田美和の歌詞世界をめぐる議論が活発になれば,著者としてこれ以上に嬉しいことはない。

1.以下,吉田美和の歌詞は『吉田美和歌詞集』(新潮社,2014-5年)の三部作(LOVE, TEARS, LIFE)から引用する。LOVE編からの引用は(LO, 頁数),LIFE編からの引用は(LI, 頁数),TEARS編からの引用は(TE, 頁数)と表記する。

2.本稿は分析の際「主人公」や「ヤツ」など歌詞に表れている表現をそのまま用いており,登場人物の性別をこちらから割り振ることはしていない。吉田美和の詞は,女性主人公が男性の登場人物と繰り広げる異性愛の物語として一般的には解釈されるようだが,そうした解釈以外の読みの可能性は,これまでほとんど模索されてこなかったのではなかろうか。例えば,「KUWABARA KUWABARA」をゲイカップルの歌として読んでみるとどのようなことが見えてくるだろうか。また「あなたには 帰る場所があるから」(TE, 35)と愛しの人に別れを告げる「Goodbye, Darlin’」を,同性カップルの別れの歌として解釈してみるとどうだろうか。彼氏との関係を重視する親友に「たかが恋や愛でどうしたの たったひとつ 恋した位で」(LI, 37)と説く主人公が親友に抱く感情は,「友情」の範疇に収まるものなのだろうか。これらは突飛な提案に聞こえるかもしれないが,吉田美和自身「歌詞の〈あなた〉は,わたしにとってどういう存在なのか。これまで一度も語ったことがないし,これからも説明するつもりはありません。聴いて読んでくださる人に,それぞれの〈あなた〉を思い浮かべてほしいんです」(TE, 172)と語っている。わたしたちは吉田美和の歌詞世界を女性を主人公とした異性愛の物語として受容しなければならないわけではなく,登場人物の性別や心情などの解釈はわたしたち一人ひとりに委ねられている。吉田美和の歌詞世界を多様な視座から読み解くことで,新たな詞の解釈の可能性が開かれるかもしれない。

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