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【リレーコラム】誰でも参加できるということ―服作りと日本伝統音楽研究の観点から(kengoshimiz)

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PROFILE|プロフィール
kengoshimiz
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1996年埼玉県生まれ。2019年武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科ファッションコース卒業。高校時代から独学で服作りと作曲を始め、大学時代にはプログラミングを利用した制作を展開。「構造」と「体系」に興味を持ち、現在は日本伝統音楽の作曲理論の構築と新しい日本伝統音楽の創作を行なっている。

私が初めて服を作ったのは高校1年生のときでした。
おばあちゃんの協力を得ながら、分からないことがあるごとに尋ね、すぐに数着を作り上げました。やがて『洋裁百科』という分厚い本を手引きに、毎週1着のペースで自分の服を制作するようになりました。
日暮里繊維街で手ごろな価格の生地を購入し、型紙から新しい服を作り、原宿でファッションを愛する友人たちと楽しい高校時代を過ごしました。
これがきっかけとなり、武蔵野美術大学でファッションを専攻する道を選びました。
以下はこれまでに制作した服のうち、写真のあるものを掲載した簡単なWebサイトです。
https://kengoshimiz.jp/clothesphoto.html
一方、25歳になった私は、新しい音楽の創作、具体的には日本の伝統音楽を創り出す道を歩み始めました。
宮内基弥さんという日本伝統音楽の師匠に出会う幸運もありましたが、情報の入手は困難を極め、4小節程度の習作の楽曲が月に数曲書ければというほどの難しさです。
"服作り"と"日本伝統音楽の研究"、この2つの文化には"参加の敷居"において顕著な違いがあります。服作りは、情報が豊富でアクセスしやすく、何も知らない高校生でも楽しみながら挑戦できました。例として、玉置浩一さんが運営する「玉置の仕事場」というWebサイトを通じてドレーピングを独学し、制作のスピードとクオリティを向上させた経験があります。
対照的に、日本の伝統音楽の領域は、多くの情報がインターネット上には存在せず、楽器の演奏方法、楽譜の読み方、作曲方法、歌詞の内容、文化背景などにアクセスすることが困難です。多くの情報が「ブラックボックス」化されており、本質的な知識を得るためには直接誰かに教えてもらう必要があります。
"誰でも参加できる文化"である服作りと、参加の敷居が高く"閉じられている文化"となっている日本の伝統音楽。これら2つの文化について、私の経験を踏まえてもう少し深掘りして考察していきましょう。
まず"誰でも参加できる文化"についてです。
私は、服作りだけでなく、プログラミングを用いた音楽制作やWebサイト制作も手掛けています。これらの分野は全て、情報が豊富にありアクセスしやすい"誰でも参加できる文化"に属します。たしかに複雑な部分もありますが、"参加の敷居"は非常に低く、どこまでスキルを深めるかは、個人の選択に委ねられています。
この低い敷居を実現する典型例として、「フォーラム」が挙げられます。フォーラムは質問や意見交換の場であり、回答者が具体的な例やアプローチ方法を提供したり、不可能なことは不可能と伝えたりするスペースです。開発側の積極的な介入により、ユーザー同士による"共助"が多く見られ、フォーラムは常に開かれた環境を維持しています。
ファッションデザイナーにも、参加の敷居を下げるアプローチをする者がいます。その一例が、2021年に亡くなったVirgil Ablohでした。彼は、『ダイアローグ』というインタビューがまとまった本にて自身のアプローチを"オープンソース"と表現しています。オープンソースはプログラミング用語で、その定義はOpen Source Group Japanに記載されています。
Virgil Ablohは、ナイキのシューズデザインに関わった際のデータを公開することで、彼がどのようなプロセスを経てデザインしたのかを外部の人々が探る手助けをしました。データは、こちらのWebサイトにてアクセス可能です。
このような"誰にでも参加できる文化"は、ユーザー主体で努力やシステムを構築することで、敷居を低く保ち、その文化の特性を維持しています。
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