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【リレーコラム】少しだけ、静かに、切り崩す──「着る」という実践(鈴木弥香子)

PROFILE|プロフィール
鈴木 弥香子
鈴木 弥香子

日本学術振興会特別研究員(PD)、非常勤講師(慶應義塾大学・立教大学)。専門は、社会学理論/社会理論。これまでは主に「新しいコスモポリタニズム」研究に取り組んできたが、現在はその研究をさらに発展させるべく、より広く「多様性と共生の社会学理論」について取り組んでいる。2023年に単著を出版予定。ファッションも好きだけど、食べることとお酒を飲むことも大好き。
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私は、スーツやいわゆるオフィス・カジュアルのような服はあまり着ない。大学で講義をするときも、学会発表のときも、基本的に私は、好きな服を好きなように着る。
私は、エレガントだけど少しエッジーなスタイル、ハイブリッドなスタイルが好きだ。今、毎シーズン新作を楽しみにしているのはsacaiで、sacaiのMA-1にちょっと甘めのワンピースを合わせたりするのが好き。プロフィール写真で肩掛けしているツイードのブルゾンは、2022SSのsacaiで、お気に入りのアイテムである。靴も大好きなので、それにSergio Rossiのショートブーツを合わせたり、マルジェラのタビブーツを合わせたりする。服自体がおとなしめの時も、アクセサリーはちょっとだけ攻めた、エッジーなものをつけることが多い。そこまで奇抜な格好ではないものの、スーツや堅い服装が多めの大学内の講師控室では浮いていると感じることが多い。スーツっぽい格好をした方が、そうした空間にも溶け込めるし、「先生」や「きちんとした研究者」に見えるだろう。
多少居心地の悪さは感じる。それでも、私は好きな服を着る。なぜそうするのか?好きな服を着たいから。ファッションが好きだから。それはもちろんそうなのだけれど、ただ好きだからではない。好きなだけでなく、それが私の実践、反抗、抵抗、小さな反乱、だからやっているのだ。

「二級の身体」で

私は身長150cmで、どちらかと言うと大人びた顔立ちとは言えない。「見た目は子供、頭脳は大人」を地で行くとネタにされることもあった。列に並んでいると、なぜかいつも私の前を横切られるし、おそらく「なめられやすい」身体である。私の150cmの身体は、「恥ずかしい」、「一人前でない」身体だと感じることが多い。
そうした羞恥は、修士課程に入学し、より一層強化された。私が修士課程に入学した2011年当時、私が通っていた大学院では、圧倒的に男性が多かった。その中で、女性の身体は、学問をやるには「二級の身体」だと感じられた。「可愛らしい」身体、「女性らしい」見た目、それらは理性的な営為である学問とはマッチしない。私の身体、それ自体が、私の居場所はここにないというメッセージを発しているように感じた。圧倒的に「よそ者」、「他者」だったのだ。
そうした中では、今のように自分の好きな服を好きに着ることは、正直なところできなかった。オシャレをしたり、ばっちりメイクしたりしていたら、「そんなことしている暇があったら研究しろ」と思われるんじゃないかとも思った。誰に何かを言われたわけでもない。ただ、周りがほとんど男性という中で、自分自身を重ね合わせられる人や、ロールモデルとして見られるような女性の先輩がほとんどいない中、私は「二級」でないことを証明しなくてはならないという抑圧を感じてきた。そんな中で、自分を貫き通せるほど、私は強くなかった。ただ、自分の在り方を完全に曲げることもできず、ちょっとだけ控えめな格好をするように心がけていた。

静かにずらし、撹乱する

博士課程に入って数年がたち、ようやく何となく自分の専門を語れるようになり、少しだけ自信が持てるようになった頃、自分の好きな格好をできるようになってきた。それは、もちろん好きな服を好きに着たかったからでもあるが、それでだけではなかった。後輩や学生たちが、私が感じた「恥ずかしさ」を感じなくてよいように。私の身体をその空間に置き、存在を示すことで、学問をする身体とはかくあるべきという規範を切り崩し、ずらし、撹乱する。好きなものを好きに着るというのは、私の交渉であり、抵抗なのである。
さらに、授業をするようになってからは、あえてカジュアルな格好をすることも多くなった。これには二つの理由がある。第一に、「こんな大人もいていいんだよ」という例を学生に示すことで、学生が内面化している「『大人』はかくあるべき」という規範をずらしたいと思っているためだ。第二に、ファッションというのは、その人がどこに準拠しているかを示すものだと思うためである。自分とまったく違う格好をしている人に対しては、見ている世界やリアリティが違う、と知らず知らずのうちに感じる傾向があると思う。学生が、私のファッションと何らかの関連性、重なり合うところがあると感じれば、私が主に扱うテーマ、差別や多様性、共生をめぐる理論も、自分に近いもの、自分ごととして、より想像しやすくなるのではないかと考えている。
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