Fashion Tech News symbol
Fashion Tech News logo

【リレーコラム】服は〈私〉を呼び起こす(佐々木ののか)

PROFILE|プロフィール
佐々木ののか
佐々木ののか

作家。愛することや誰かとともに生きることについて草の根で哲学し、言葉を書いている。馬1頭、猫2匹とともに北海道の山で暮らす保護者であり、鹿を追う狩猟者。著書に『愛と家族を探して』『自分を愛するということ(あるいは幸福について)』(ともに亜紀書房)。

服とは何か。
肌を守るもの、着飾るためのもの、なりたい私に近づくためのもの。人の数だけ解があろうが、私なら、〈私〉に作用する身近な他者だと答える。
服は、友人よりもずっと身近な存在だ。なぜなら彼らは常に、私の肌に触れている。どんなに心を許した恋人であっても、あるいは自分であっても、自分の身体という極めてパーソナルな領域に常に触れ続けている存在は(目に見えない皮膚の常在菌を除いて)ほかにない。
多くの人は、自分が服を着ているつもりかもしれないが、別の言い方をすれば、服が肌に触れることを許している。自分の身体を誰に触らせたくて誰に触らせたくないかを直感で判断するように、着ることを選んだ服は、肌に受け入れることを許した服なのだ。
蒸し暑い日には風通しの悪いナイロンや何枚も折り重ねたガーゼの服は不快に感じられて身に纏う気が到底起きないし、あまりの吹雪で数十メートル先の天と地の境目がわからなくなるような日には、安心を求めて、ディズニー映画『101匹わんちゃん』の悪役・クルエラが着ているような重たいファーコートに手を伸ばす。

私は鈍い人間で、自分の痛みや快・不快を早い段階で感じ取るのが難しい。
大学時代の体育の授業で、200kg以上ある跳躍器具のキャスターで足を轢いて親指の爪が剥がれ落ちたときも、私の歩いた道に血が垂れているのを見た学生の悲鳴を聞くまでは、何が起きたのか気づくことができなかった。
さらにいえば、誰かに身体に触れられるとき、それがよほど安心できる相手でないと、快や不快どころか、触られていることもわからない。
生命体としては致命的な鈍さを持っている自覚があるから、身体の声を少しでも聞けるようになりたくて、クローゼットの前に立つときは、その時々で肌に受け入れたい服を選ぶように心がけている。鈍感なうえに人様のアドバイスを受け入れない強情な私に届くよう、身体の声を耳打ちしてくれる希少な存在が服である。
「着心地」や「肌触り」と呼んでしまえばそれまでだが、私にとっての服は、それらの言葉が含む軽いニュアンス以上の作用をもたらしてくれる、かけがえのない隣人に思えてならない。そして、そうした服とのインタラクティブな交わりが、私がファッションを楽しむ醍醐味のひとつなのだ。
***
服が輪郭づけるのは、身体の声だけではない。その色で、フォルムで、欲望を輪郭づけ、方向づける。方向づけられた欲望は、服の力をもってブーストして走り出す。
Photo:Yukihiro Nakamura
Photo:Yukihiro Nakamura
私の場合、ビビッドなランジェリーのような服に惹かれるのは大抵前へと進みたいときだし、ゆったりしたモノトーンのリネンワンピースしか着られない時期は内に籠って物忌みしたいときだ。派手な色の露出の多い服は、殻を破るよう背中を押してくれるし、黒くてふくよかなワンピースは身を守る結界になる。
私はよく芯のある人間だと思われがちだが、それは大いなる誤解で、負けん気は強くても芯はない。確固たる自分、本当の自分などはなく、何枚ものトレーシングペーパーに写し取った自分の輪郭を重ねて、自分像をなんとなくとらえることで足場を確保している。
クローゼットおよび店に並んだ服たちは、そうした私のおぼろげな輪郭を浮かび上がらせてくれる対話相手だ。そして、私を然るべき方向へと導くパートナーでもある。

それから、それぞれの服が持つ音もまた、私に作用してくる要素のひとつだ。
ベトナムの山岳地帯に住む少数民族・モン族のヴィンテージテキスタイルをあしらった服。真横に大きなスリットが入っていて、風が吹くとはためく
ベトナムの山岳地帯に住む少数民族・モン族のヴィンテージテキスタイルをあしらった服。真横に大きなスリットが入っていて、風が吹くとはためく
たとえば、服の裾や帽子についた鈴やビーズの音、服の長い裾が風にはためく音、麻やナイロンの衣擦れの音――。それらの音は、私の半径50㎝に光を灯し、世界から私を守ってくれる。一人であっても、孤独ではないと感じる。どこか心細いとき、気持ちが揺らぎそうなときに「音のある服」を着ると、物語の主人公のように、胸を張って歩ける気がする。
1 / 2 ページ
この記事をシェアする