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【リレーコラム】装いの規律媒体としてのピアノ? ーーユジャ・ワンと平野弦の演奏実践(灰街令)

PROFILE|プロフィール
灰街令
灰街令

作曲家。音楽学研究者。国立音楽大学大学院博士後期課程創作領域単位取得満期退学の後、現在同大学大学院研究生。「noise=silenceに注意して形象を扱うこと」をテーマに現代音楽と電子音楽の分野で音楽活動を展開するほか、ジョン・ケージに影響を受けた作曲家たちの研究を行っている。

冒頭に挙げた映像は北京出身のピアニストであるユジャ・ワンによる、プロコフィエフ作曲《ピアノソナタ第8番》(1944)第3楽章の演奏である。同音連打や反復する音型の処理において、はじくような指使いによる明瞭なタッチが冴えわたっている演奏だ。プロコフィエフのからりとしたピアノ曲にユジャ・ワンの快活な指さばきは相性が良い。しかしここでは(ユジャ・ワンに対しては飽き飽きするほどに何度も言及されている事柄ではあるけれど)彼女の舞台衣装についてもう一度考えてみたい。現在では少しずつ状況が変わってきているとはいえ、いわゆるクラシックと呼ばれる音楽の演奏会において、女性の奏者(なかでも特にソリスト)はイブニングドレスやそれに準ずる衣装を纏うことが多い。それは駆け出しの演奏家にとって、時に憧れとして、時に抑圧として機能している慣習と言えるだろう。
しかしユジャ・ワンのファッションはソリストの典型的なそれとすこし異なっている。上記の映像に見られるように、しばしば彼女のドレスは過激なほどに露出(あるいはそう見える部分)が多く、素材は光沢を放っている。ルブタンを愛好しているという彼女はペダリングが困難なように思えるほどに高く細いハイヒールを履きこなす。いうなればそれはオペラの舞台衣装のように、装いとしての過剰さを伴っているのだ。
現在クラシック音楽と呼ばれている音楽の歴史において、女性の身体の在り方は極めて制限されてきた。音楽学者のフライヤ・ホフマンは『楽器と身体』[1]の中で、18世紀後半から19世紀前半にかけてのドイツにおける女性観と楽器の関係の歴史を記述している。たとえばチェロのような擦弦楽器やオーボエのような管楽器あるいはティンパニのような打楽器は、市民社会の中で、特に公開コンサートにおいては女性が演奏するべきでないものとされていた。楽器と女性の関係を乱痴気騒ぎや官能的なものとして眼差す視線はディルク・ファン・バビューレンの風俗画などにも以前から見られるものだが、18世紀のブルジョワジーたちは彼らの市民道徳を形成していく過程で、特に貴族社会の道徳的退廃から手を切ろうとする意図で、その演奏の動作や音響が慎ましくないと見做した楽器の女性による演奏を抑圧した。それは女性という性に対しては「自然」でないものとされたのである。
しかしブルジョワジーが彼らの言うところの「自然」に基づく禁欲的な社会を統一的に形成していたわけではない。たとえばブルジョワジーの社会でもオペラはドゥミ・モンド的世界であり、女性歌手は性的な魅力を持つ夜の存在として称揚された。また貴族のものとして一度は破棄されたコルセットは1822年以降にはブルジョワ階級で再流行し、時に女性の器楽奏者は浅い呼吸で演奏することを強いられた。女性はウエストの細さやバストの強調は許され、また推奨されもするが、たとえばチェロの演奏のために脚を大きく開くことは好ましくないとされたのである。つまり、猥雑なものとして見出した女性の活動を抑圧すると同時に、特定の場所や程度によっては括弧付きの「女性らしさ」を規範とする(あるいは「女性らしさ」に基づいた規範の逸脱を規範とする)という二重性が市民社会には存在していた。
しかし、そのなかでピアノという楽器は特別に女性に許されたものであった。ブルジョワジーの家庭でピアノが豪奢なインテリアとして迎えられたのと同じように、家庭でピアノを弾く女性は裕福さを誇るためのある種の高級家具でもあった。しかしそうであるがゆえに18世紀の彼女たちは職業演奏家になることをほとんど許されず「ディレッタント」と呼ばれたアマチュア演奏家となることがほとんどだった。またその身体は衣服や姿勢に対する規範(時には背筋を伸ばすための器具さえ使われた)によって制限されていたし、「男勝り」とされるような力強い演奏は忌避されていた。
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