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【リレーコラム】“未来のイブ”と共に―パタンナーから見えるもの―(新谷聡子)

PROFILE|プロフィール
新谷 聡子(しんや さとこ)
新谷 聡子(しんや さとこ)

1995年生まれ。 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。同大学大学院美術研究科修士課程在籍時に渡仏し、L'Académie Internationale de Coupe de Paris (AICP) に入学、卒業。現在はウィーン応用美術大学にて研究員として在籍しながら、フリーのパタンナーとしても活動中。 デザインを’応用される美術’という観点で捉え、ファッションやテキスタイル、版画を中心にウィーン応 用美術大学にて日本開国時にヨーロッパに輸出され、広まった日本文化のアーカイブを研究。

衣服は、古くから存在している“もの”だ。
アダムとイブが楽園で知恵を得て、いちじくの葉を体にあてがったその瞬間から、我々は常に何を体に纏うべきか考え続けている。
この数十年でテクノロジーの革新が生活に浸透し、私たち自身の体を駆使せずとも、便利に生きていけるようになり、ファッションは今まで以上にさまざまな表情を我々に見せるようになってきた。
2023年、Forbesが出している長者番付において、フランス人であるベルナール・アルノー氏がLVMHのCEOとして世界一の大富豪になった事実は、現代においてテクノロジー業界に属さない成功の象徴である。
一般的に、世界の富豪の中にはテクノロジー関連の事業で成功を収めた人々が多く見られるが、アルノー氏の成功は小売業界での成果に根ざしている。ここで興味深いのは、彼がテクノロジー業界には属さないにもかかわらず、従来のビジネス分野である小売業を通じて世界最高の富を築いたという点である。彼の成功は、テクノロジーに依存すると考えられがちな現代社会において、伝統的な産業や小売業にも大きな可能性があることを示している。
ファッションは、テクノロジーに食われない。
顧客データを集めてニーズを把握したり、SNSで驚くようなデザインを人々に見せたりしたとしても、それが現実世界に具現化されなければ、それは存在しないも同然である。ファッションは人々の欲望やデザイナーの創造欲から生まれてくるものだが、その成長には欲望や創造欲だけでは足りない。実際には、数多くの優れた才能によって支えられ、時間と技術をかけて製作された服が商品として世に出され、人々に支持されることで、ファッションは現実の世界で成り立っている。
パタンナーとして働くようになって、ファッションが持つ物質性と非物質性の2面性に日々引き裂かれている。
インターネットが普及した今、Pinterestや1990年代の雑誌をアーカイブしているarchive PDFなど、自分の欲しい情報をネット上で得ながら制作している学生がほとんどだ。イラレなどのソフトが開発されたことにより、ヴィジュアルコミュニケーションにかける時間も圧倒的に短くなった。
その反面、服を作るという工程を細かく見ていくほど、そこでは人の手と時間が欠かせないのも事実である。形を作ること、縫うこと、生地の加工をすること、その他さまざまな服を作る過程において、勝手にプログラムが作動して待っていれば作業が終わることはまだない。
ファッションとテクノロジーとの関係性がもてはやされればされるほど、私はファッションの持つ物質性の沼にはまっていく。
フランスでは、パタンナーは往々にして立体裁断や手引きのスキルを重要視されるし、ソフトでパターンが引けることは+アルファのスキルでしかない。
大きなブランドになっていけばいくほど、一言にパタンナーと言っても、立体裁断で形を作ることのみ行うパタンナー、平面製図のみを行うパタンナー、工業用パターンのみの製作を行うパタンナーと、さまざまに分かれている。日本のように、デザイナー兼パタンナーという人は稀であり、プロフェッショナルであろうとすればするからこそ、パリではパタンナーという一職業ですら分業が進んでいる。
そもそも日本とヨーロッパを比べたときに見えてくる、職業としてのファッションの違いは大きい。
日本ではアパレルとしてのファッションで産業が発展し、洋裁文化としてのファッションがカルチャーとして発展してきた。日本の近代物質生活史を研究している井上雅人氏は、自身の著書『洋裁文化と日本ファッション』の中で、日本における「洋裁文化とは、洋服を作ることを中心にして、学校、雑誌、デザイナー、ファッションモデル、洋裁店、ファッションショーといった様々な事象から形成された、大衆を主役とした生産と消費の文化のことである」と述べている。つまり日本の文化的ファッションは大衆による大衆のためのものであった。
それに比べ、ヨーロッパのファッションは元を辿れば、宮廷、貴族のためのHaut-couture(オートクチュール)であり、それが産業革命、2度の世界大戦、アメリカの台頭、若者文化の変化、などによって1960年代にはプレタポルテとして定着してきた。
大量生産としてのファッションに変わったとしても、それは上質な既製服であり、確固たる女性像に向けてデザインされている。彼らにとってファッションとは、伝統と革新の中でデザインすることであり、手仕事であり、そして今現在もそれはラグジュアリー産業として継承され、成長し続けている。
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