PROFILE|プロフィール

西貝怜
目白大学社会学部・中央学院大学法学部非常勤講師。現在の専攻は生命倫理学、現代文学・文化研究。過去の専攻は行動生態学。共著に『東日本大震災後文学論』(南雲堂、2017年)など。論文に「記憶の選択的消去の倫理的問題を記憶再生技術とともに考える―湯浅政明監督『カイバ』の解釈から脳神経倫理へ―」(『文明研究』第36号、2018年)など。
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1.母は白衣を着ない
片岡人生・近藤一馬『デッドマン・ワンダーランド(13)』に収められている「54 The shut-up reason」では、以下のような言葉が出てくる。…五十嵐さん/亡くなった被験者に毎年花を届けてましたよね…/(中略)気づいてないんですか?/―――それは『研究者』じゃない/『人間』のやることですよ
被験者がほぼ死んでしまうような、ナノマシンの開発にかかわる非人道的な実験。その責任者の一人である女性科学者の五十嵐は、実験の被験者を増やすためだけに子どもを産んだ。
しかし「研究にしか興味ないあの五十嵐」のはずが、子どもを可愛く思う。ただ、もう一人の実験の責任者でもある子どもの父親に「さあ腸で可愛いリボンを作ろう!」と非道なことを言われてしまう。その発言に、苦悩の表情を見せる五十嵐。この後に、以上の言葉を研究仲間の同僚に投げかけられる。
自身が犠牲にした被験者に花を奉げる。この悼むという振る舞いが、同僚に「研究者」によるものでなく「人間」のものであると指摘される。悼むということが善なのかどうなのかは判断が難しいので、ここでは置いておく。ただ、この同僚の投げかけによって五十嵐は、 もともと非道なだけでなく「人間」的な部分を持っていることが指摘され、母としての徳にも目覚める。
ラスト付近の場面なのでネタバレ回避のために濁して書くが、自身の子どもを非人道的な実験から守るという至上目的のために、以降も五十嵐は「研究者」を続け、相変わらず時に他者を犠牲にするような行動もとる。しかし、自身の子どもを守りたいという母としての意志は、ただの欲求でなく善や正義といったことをなそうとするものであり、徳的であるといえよう。
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