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【リレーコラム】衣服が語る記憶たち -映画を広げる空想について-(颯季)

PROFILE|プロフィール
颯季(さつき)
颯季(さつき)

1997年、東京都生まれ。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒業後、フリーランスで実写映画衣装と美術のアシスタントとして働き始める。近年はアニメーションのコスチュームとプロップデザインの仕事もしている。

今あなたが纏っている衣服には、どのアイテムを取っても必ず記憶がある。その記憶とは、大きく2種類ある。
1つはそのアイテムがあなたの所有物になるまでの記憶。すなわち製造や流通の過程、あるいは古着の場合以前の所有者との歴史。
2つ目はそのアイテムがあなたの所有物になってからの記憶。アイテムがクローゼットから選ばれ、身につけられ、身体と共に活動し、人間の老化のように抗えない摩耗や損傷を受け、身体を離れたら洗われたり畳まれたりグシャと床に放り投げられたりして、その一連がランダムに繰り返されることによって衣服にとっての記憶の層が織り成されてゆく。
その物理的な歴史に加えて、「あの人がくれた服」「あの場所で着ていた服」「素材が好きだ」「デザインが好きだ」「サイズが合わなくなってきた」といった身につける側が抱く印象が付随することでそのアイテムと人間との現在の関係性が完成する。
そう考えると今あなたが纏っている衣服とは、あなたとその衣服との歴史が、さまざまな外的要因(気温、その日の活動内容、会う予定の人など)と掛け合わさって導かれたその瞬間だけのコンクルージョンなのである。
さて、私が仕事にしている映画衣装デザインというのは、第三者がこのコンクルージョンを作り出すというなんとも自然の摂理に反した行為である。
衣服に、それを着るキャラクターが辿ってきたであろう架空の歴史を刻み込む。皺皺のシャツには、そのキャラクターのクローゼットでの衣服の扱い方や多忙さ、あるいはアイロンをかける同居人の有無などが想像されるし、リュックサックにお守りがついていたらそのキャラクターを見守る誰かの眼差しや、その思いを受け取ることのできる心の寛容さを感じることができる。
映画とは2次元の脚本上に文章で描かれたキャラクターが3次元の身体を借りて具現化する、あらゆる行為の切り貼りだ。
役者は自らの身体を用いてキャラクターに命を吹き込むわけだが、そのキャラクターの歴史や現在の状況を、物言わず物語るのが衣装なのである。
そんなことを考えながら電車に揺られていると、目に映るのは衣服の記憶の洪水である。
電車の中でスマホもいじらず本も読まず、向かいに座っている人々の顔から下の世界をファイリングし続けている人間がいたら、それはきっと私だ。色や素材の組み合わせ方や、アクセサリーの取り入れ方、パンツの丈感や靴下の着用感など、本当に皆千差万別でありながら、その人の中だけにある統一性がうかがえたりする。そして、その衣服の記憶を勝手に想像して遊んでいる。
たとえば比較的新しい革靴の片方だけについた大きな擦れ跡。その傷がついた場面に思いを馳せてみる。不意に横から顔を出した車を咄嗟に避けたときに縁石に擦ってしまったのだろうか。階段でつまずいて転んだ際に片側だけ擦ってしまった可能性もあるし、あるいは居酒屋で靴を脱いでいて、数時間後にさあ履くかと思ったときに身に覚えのない傷がついていて、やり場のない憤慨をひとり鎮めたりしたのだろうか…。
ストーリーの正解は本人に聞いてみないとわからないのだが(あるいは本人に聞いても身に覚えがないかもしれない)、必ずその擦れた跡の背景には事の起こりがあり、固有の歴史が刻まれている。そしてその歴史は身につけている本人の記憶や歴史と密接に結びついているのである。
などと考えながら、ホームレスのスニーカーの靴底をやすったり、喧嘩後のヤンキーの特攻服に傷跡を施したりしている日常である。
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