2021.07.14

【リレーコラム】美の極致、肉体の廃棄。サイバネティクスが未来の身体装飾を調律する(鏡征爾)

#リレーコラム:Fashion / Technology
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PROFILE|プロフィール
鏡 征爾
鏡 征爾

小説家。第5回講談社BOX新人賞(『メフィスト』姉妹誌『ファウスト』後継)で初の大賞を受賞。著書に『雪の名前はカレンシリーズ』『白の断章』など。他『ユリイカ』『群像』。東京大学博士課程単位取得退学。某所研究者。非常勤講師。

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 この世界のどこかに愛を生成する結晶がある。それは美を廃棄することによって得られる逆説的なものである。人間と機械の融合する世界においては、あらゆる物質的な崇高さは、情報テクノロジーという名の権威に屈する。

 愛も美も、人間がつくりだすものだ。身体装飾の世界を彩るテクノロジーも、人間がつくりだすものだ。
 われわれの肉体をつくりだす四種類の塩基配列ATGC、われわれの肉体がつくりだす無数のマテリアル。愛や美といった感情も、感情を動かすためにつくられたファッションも、あらゆるものは情報的な現象と看做すことができる。

 フランスの詩人シャルル・ボードレールは、化粧を「顔面を廃棄する一つの手法である」と指摘した。眼や唇や鼻といった、われわれの顔を構成するパーツを化粧で加工することによって、身体を廃棄すると主張したのである。
 生身の身体に幻滅することの多かった自分にとって、詩人の言葉は、強い説得力をもって胸に迫った。
 だが、あらためて考えてみたい。果たして剥き出しの身体は、廃棄されるほど軽視されるべきものなのだろうか。生物学的にみれば、本来、裸体はわれわれの中枢神経を刺激するものでもある。本能的なレベルで、おそらく性差を問わず、われわれの視線を一点に集める作用をもっている。
 ミケランジェロや中世の絵画を例に出すまでもなく、一糸纏わぬ裸体のモチーフが、歴史上繰り返し扱われてきたことからも明らかだろう。
 では、生物学的な身体性と、社会的な規範とともに揺れ動く、理性的な身体感覚との間を、如何にしてファッションは調律してきたのか。或いはテクノロジーによって、調律し得るのか。

Ⅲ 

 R.アヴェドンの写真が典型的なように、身体的な美しさは、剥き出しの生々しさに由来する。
 ところで動物的な本能を刺激する色味が赤と黄という、いわゆる血の色に由来することはそれほど知られていない。マクドナルドの看板を思い浮かべてほしい。赤と黄は食欲に訴えかける色なのだ。その裸体の基調となる色調は、血の色と肌色という、極めて動物的な感覚から引き出されている。このことが愛と美と如何に関係するのか? 

 早熟の天才と謳われたレイモンド・ラディゲの作品に『肉体の悪魔』という佳作がある。三島由紀夫に大きな影響を与えた作者だが、三島の作品と同様、肉体的な美と愛の観念は、密接に結びついている。両者はほとんど不可分の「情報」なのだ。では肉体が頭蓋と切り離されたらどうだろうか。 

 2020年に内閣府より提起されたムーン・ショット計画は、われわれの現実から肉体が切り離された世界をイメージしている。「サイバネティック・アバター」構想では、仮想現実上で記号的なアバターを通じて、協同して仕事をすることが近未来の労働として掲げられている。頭蓋に電極を張り巡らせることによる感情の操作や、イーロン・マスクの近年の取り組みを考慮しても、明らかに肉体を頭蓋と切り離した世界像が、今後の「大きな物語」として人々の心の基底を流れるだろう。 

 肉体と頭蓋とが切り離されれば、美と愛の関係も当然ながら変化する。幾何級数的に進化を遂げる情報テクノロジーが、それを後押しする。未来のファッションは、果たして肉体を必要とするだろうか。それは不可避的に、ファッションという現在の概念を超越するものとなるだろう。

 J・ベドゥアンはわれわれが着飾る、或いは化粧を施すという行為について「存在のもっている像を変形させることによって、存在そのものを修正しようとする」(『仮面の民俗学』)営みであると指摘した。こうした身体加工の試みは、服飾や化粧といった、物質を「羽織る」ことによる旧来の枠組みを超えて、新たなフェイズに至るだろう。
 そこで到来するのが、情報概念による新たな身体装飾の可能性である。

 情報は物質とエネルギーに次ぐ第三の要素として生まれた。二十世紀初頭のハイゼンベルクの不確定性原理を経て生まれた、量子論の世界は、SFやフィクションに親しい人間には馴染み深いものだろう。
 われわれが「観測」することによって、初めて「観察」される事象がある。或いは観測という行為が、実験に影響を与えてしまうことがある。
 要するに「情報」という概念は「観察概念」と深く結びついており、われわれ人間の認知と切り離せないものなのである。美や愛といった感情も、認知主体であるわれわれが観察によってつくりだす、情報現象であるといえる。この世界のどこに愛を生成する源があるか。答えは明白だろう。

 美しいとされる絵画が裸体を扱っているのはなぜだろう。宗教的世界と結びついた〈美の極致〉が裸体にあるとすれば、その裸体を上書きする行為は、美の廃棄にはつながらないだろうか。
 だが衣服で覆うことによって、強調される美もある。舞踏会で胸のあいたドレスに身を纏う姿が、衣服で遮ることによって逆に肌を際立たせるものであった事例が特徴的だ(『モードの迷宮』)。
 身体を加工することによって得られる効果は、あらゆる薬がそうであるように、リスクとベネフィットを伴う。そしてそれは、テクノロジーが進化した未来のファッション文化においても、切実な問題となる。

 フランス文化省から芸術文化勲章を受勲し五年前に死亡したソニア・リキエルは、「裏返しの服は大聖堂のように美しい」と言った。
 また伝説的なブランド、メゾンマルジェラを立ち上げたマルタン・マルジェラは「反モード」を掲げ、グランジスタイルを確立した。
 コムデギャルソンは、それまで煌びやかなイメージの強かったファッション・ショーの世界を黒を基調とした破壊的なスタイルで革新した。ハイブランドとカジュアルを融合するフェイズへと時代が移ったのである。

ⅩⅠ 

 近代のファッションがハイブランドとカジュアルを融合させる段階に移行したように、未来のファッションは肉体と頭蓋を架橋するフェイズに移行する。
 あらゆる科学的な研究結果が示すとおり、身体性は感情と結びついている。生体情報から立ち上る無意識的な情報の群れが、われわれの快不快原則、情動を司る脳神経系の働きと接合するためだ。
 初期サイバネティクスの文脈でマカロックとピッツが0と1の信号で頭蓋の働きを数学的に処理しようとした試みは、ノイマン・パラダイム(F.ヴァレラによる分類に基づく)と呼ばれる学的潮流で、現在においても引き継がれている。 

ⅩⅡ 

 果たして肉体を喪失した先に美はあるのだろうか。愛はあるだろうか。世界は生々しい剥き出しのものとしてわれわれの瞳に出現するだろうか。
 解答に至るヒントは、奇しくも現代テクノロジーの源流となったサイバネティクスの創始者、ノーバート・ウィーナーの次の憂慮に示されている。「私は本書を、人間のこのような非人間的な利用に対する抗議に捧げたいのである」(『人間機械論』)。
 肉体の悪魔――悪魔的な機械の非人間的な利用によって今後大量に生み出される、生物学的な廃墟の群れ。それは古典SFの黙示録的な啓示が示唆するとおり、果たして本当に不可避な未来なのだろうか。
 
 身体を廃棄する試みが美の廃棄につながらないようにするためには、テクノロジーを肉体と調律させる、新たなファッションの革命的樹立が求められる。

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