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【リレーコラム】ファッション研究者、就活の服装に悩む(五十棲亘)

PROFILE|プロフィール
五十棲亘
五十棲亘

京都服飾文化研究財団 アシスタント・キュレーター。専門はファッション文化論、表象文化論。とりわけ戦後日本におけるファッションデザインに対する批評の研究。主な論考に「Y2Kは現代語か─ファッションリバイバルとアーカイブファッションの身体」『ユリイカ 2022年8月号 特集=現代語の世界』(青土社)、共著に『クリティカル・ワード ファッションスタディーズ 私と社会と衣服の関係』(フィルムアート社)がある。
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ファッション研究者として、就職活動という事象に関心をもってきた方だと思う。画一的な服装や髪型や髪色、近年は女性のみならず男性においても「清潔感」の惹句とともに推奨される化粧。あるいは、着席の仕方やおじぎ等の振る舞い、あるいは慇懃無礼といえるほどの丁寧語などなど。とりわけ、過度のハイヒール着用や選考におけるルッキズムといった近年のトピックは(1)、ファッション研究の観点からも看過することはできない。 
このように、メディアでは何らかの形で装いや振る舞いの視点から就職活動への意見が日常的に交わされる。そして、就職活動とファッションの関係性において、スーツに対する服装の規範は私自身も多くのことを考えさせられた問題だ。
スーツは、服飾史やファッション研究において極めて重要な研究対象である。なぜなら、スーツの歴史は単なる衣服の形態の変遷だけでなく、近代化の過程とともにスーツに付与されてきた様々なアイデンティティをめぐる歴史でもあるからだ(2)
スーツとは、ユニフォームとして何らかの属性に押し込めようとする運動と、そこから抵抗するように生ずる差異化の運動が拮抗し合う言説の構築物である。そして、田中里尚が『リクルートスーツの社会史』で丹念に分析しているように、そうした言説の構築物としてのスーツの側面が明らかになる事例が就職活動におけるリクルートスーツの問題である(3)
「日本的無個性」や「同調圧力の強い日本の社会」の象徴とも言われるリクルートスーツであるが(4)、日本における「背広」受容や就職活動に求められる服装の歴史性、ジェンダーによって異なるスーツの位置付け、メディアでの表象等、それらは簡単に良し悪しの対立では語り得ない重層性を持つ。ファッション研究が「装い」や「振る舞い」の問題を考究するのであれば、リクルートスーツという卑近ゆえに見落としそうになる対象は、まさに社会の鏡であるファッションそのものである。
さて、かくいう私も昨年人生で初めての就職活動を経験した。友人たちから何となくその過程を見聞きしていたものの、いざ自分の番になると思っていた以上に知らないことが多い。応募書類の書き方はもちろん、SPIの対策や選考時課題への対応の仕方など、あまりにも調べないといけないことばかりで驚いた。研究職の公募だったので尚更である。
そして非常に困ったことが服装。「黒のスーツ」であれば数着持っていたが、ジャケットが極端にオーバーサイズであったりズタボロに裁ち切られていたり、ネクタイが見えないほどにラペルが詰めて仕立てられていたり、セットアップの下がショートパンツやスカートであったり...…。もはや「私服」としてさえ着る場面の少ないものばかりだった。
また、かろうじてシャツは家にあったもののネクタイ、靴、ソックス、バッグが家のなかに見当たらない。いや、あるにはある。だが、「就職活動にふさわしいと思わしきもの」を悉く持っていなかったのだ。これは大学院に進学して研究職を志したことを含め、私が「リクスー」を着る瞬間を避けてきた証左だ。
ただ、アカデミアにはまったく服装の規範がないかといわれるとそうではない。うっすらとではあるが確かにそれらしきものが存在している。修士や博士の大学院入試、修士論文の審査会、学会発表の場では必ずスーツを着ている人はいた。実際、アカデミアにおけるスーツ着用の規範性については、ジェンダー研究の観点から女性研究者の服装の選択とアカデミアの構造的な抑圧との関係性に対する問題提起と議論が確かに存在している(5)
つまり、ここ数年の私がアカデミアで「まともなスーツ」を着ることなくやり過ごすことができたのは、たまたまどうにかなった(と思い込んでいる)だけのことである。
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