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【リレーコラム】アバターに服を着せるのはファッションなのか:身体の微妙な役割(松永伸司)

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PROFILE|プロフィール
松永伸司
松永伸司

京都大学文学部メディア文化学専修准教授。専門は美学とゲーム研究。著書に『ビデオゲームの美学』(慶應義塾大学出版会、2018年)、訳書にイェスパー・ユール『ハーフリアル』(ニューゲームズオーダー、2016年)、ネルソン・グッドマン『芸術の言語』(慶應義塾大学出版会、2017年)、ミゲル・シカール『プレイ・マターズ:遊び心の哲学』(フィルムアート社、2019年)。

ファッションは自分の身体を飾る

ファッションにしろ、インテリアにしろ、ウェブサイトにしろ、素材をいい感じに見えるように飾りつけること、つまり「おしゃれにする」ことが評価されるという点では同じだ。服装は身体を、こだわりインテリアは部屋を、ウェブデザインはウェブページの構造を、それぞれ服や家具やCSSによって飾りつけている。
そうした「おしゃれ」が評価される文化のなかで、ファッションならではの特徴は何かあるのか? ぱっと思いつく答えは、ファッションは自分の身体を飾るという点で独特だ、というものだろう。ここで「自分の身体」という言い方で強調されているポイントは、大きく分けて2つあると思われる。
1つめは、おしゃれの素材としての自分の身体は選べないということ。部屋はより条件のいいところに引っ越せばいいし、ウェブページの構造は(少なくとも求められる機能の範囲内で)好きなように変えられる。それに対して、自分の身体は、ある程度の加工は許容するものの、根本的なところで改変も交換も不可能だ。結果として、ファッションでおしゃれをするには、選択不可能なかたちで与えられたユニークな素材を使わなければならないという縛りがある。
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