PROFILE|プロフィール
伴場 航(ばんば わたる)
東京都西多摩郡出身。武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科卒業。卒業論文では、詩人の吉増剛造の映像作品「gozoCinè」を彼が育った福生の地理的条件と結びつけて論じた。主に小説、映画、美術など、制作にかかわる領域全般に関心がある。
何かを身につけることは、大なり小なり、ふるまいや行動が変化することだ。どんな格好をしているかによって、どのような行動が可能なのか、あるいは不可能なのかが変わってくる。
たとえばあなたが真冬のスキー場にいて、着ているものが短パンにTシャツ1枚だったら、あまりにも寒くて、そこに長く留まることはできないだろう。もしあなたがスキーウエアを着ているならば、寒さは問題にならないし、雪でぬれることもない。スキーウエアを着ているあなたは、思う存分スキーに没頭することができる。快適な体温が保たれ、寒い環境での長時間の活動が可能になる。
安部公房が書いた小説に『箱男』[1]という作品がある。ダンボール箱を頭からかぶった男が街をさまよい、箱をかぶったまま生活を送るという内容の小説である。「箱男」の箱には左右の幅約42センチの覗き窓[2]が加工されていて、彼はその窓から外の世界を覗いている。「箱男」は外出時だけでなく、自分の部屋にいるときもダンボールをかぶっていて、食事から睡眠に至るまで生活のあらゆる工程を箱の中で済ませる。「箱男」にとって彼がかぶるダンボールは、一度身につけてしまったら、そう簡単には手放せない代物なのである。
この小説は、章の見出しが「《ぼくの場合》」[3]や「《たとえばAの場合》」[4]となっているように、何人かの「箱男」の手記の断片から構成されていて、その背景にはとうぜん、複数の「箱男」が想定されている。ダンボール箱をかぶって生活すると、ふるまいや行動はどのように変化するのか。その複数の例として『箱男』の物語は書かれている。
『箱男』の冒頭には、「《箱の製法》」と題された短い章が挿入されている。それは以下のようなものである。
材料
ダンボール空箱 一個
ビニール生地(半透明) 五十センチ角
ガムテープ(耐水性) 約八メートル
針金 二メートル
切り出し小刀(工具として)
(なお、街頭に出るための本格的身ごしらえには、他に使い古しのドンゴロス三枚、作業用ゴム長靴一足を用意すること)[5]
この章では上記のような材料の記述に始まり、「箱男」にとって欠かせない「箱男」のためのダンボール箱を工面するための工作方法やその際のコツが書かれている。読者はここに書かれた内容に倣って工作をすれば、「箱男」が所有するのと同じダンボール箱を手に入れることができる。そして最後に箱をかぶれば、「箱男」そっくりの姿になることができる。
しかし「箱男」そっくりになったとしても、それはやや特殊な加工をされたダンボール箱を手に入れそれをかぶっただけのことであって、その者がただちに小説の中の人物のようになるわけではない。「箱男」の姿になることは、「箱男」を真似してみることであって、あくまで仮装に過ぎない。
ここで重要なのは、「箱男」の仮装をすることは、小説『箱男』の物語から箱だけを取り出す行為だということである。箱をかぶり、その感触を確かめることは、物語を読むこととは違った体験であるはずだ。何かを身につけることは、ふるまいや行動が変化することだ。それを考える上での手がかりは、読者が小説の登場人物ではないということなのである。
あなたが「《箱の製法》」に従って1つのダンボール箱を加工したとする。この箱はあなたが考え出したものではないけれど、あなた自身の手で工作されたものだ。箱にはあらかじめ想定された使用環境というものがない。そもそも箱にどんな機能があるのか、箱を身につけることでどんな快適さがもたらされるのかは、箱を着用してみるまでは分からない。ほんのちょっとのあいだ身につけただけでは駄目だ。それでは箱が体に馴染まない。箱が十分に馴染むには、ちょうど肌着がそうであるように、着用しているのをウッカリ忘れてしまうまで身につけていなければならない。
一度箱のことを忘れるのに成功したら、今度は箱のことを十分に意識してみて、その感触を確かめる。そのとき、あなたは自分が「箱男」になったことを実感する。頭からダンボール箱をかぶったあなたは、自分の部屋の中に1人でいる。目線の高さに工作された覗き窓から自分の部屋が見える。そのとき、部屋はどんなふうに見えるだろうか。少し歩いてベランダのほうに近づいてみる。箱を通して見る外の世界は、どんな様子だろうか。
最後に、箱を脱いであなたは元の状態に戻る。仮装であるからには、いつかは元に戻らなければならない。そしてあなたは箱を脱ぐ前に、箱を着用する前と後とで何が変化し、何が可能になり不可能になったのかを考える。
《註》
[1] 安部公房. 『箱男』. 新潮社, 1982.
[2] 安部公房. 『箱男』. 新潮社, 1982, p.10
[3] 安部公房. 『箱男』. 新潮社, 1982, p.7
[4] 安部公房. 『箱男』. 新潮社, 1982, p.13
[5] 安部公房. 『箱男』. 新潮社, 1982, p.8
*註のページ表記は、新潮文庫の25刷に準拠
《参考文献》
安部公房. 『箱男』. 新潮社, 1982.