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【リレーコラム】「戸は開いているか閉まっていなければならない」(伊藤靖浩)

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PROFILE|プロフィール
伊藤 靖浩(いとう やすひろ)
伊藤 靖浩(いとう やすひろ)

1994年、東京生。学術修士(東京大学)。社会科学高等研究院(EHESS)修士課程在籍。専門はフランス文学、20世紀の作家コレットを研究対象とし、最近は彼女の作品における翻訳、あるいは声の問題に取り組んでいる。研究と並行して、若手オペラカンパニー Novanta Quattroでドラマトゥルクを務めたり、さまざまな演奏会のプログラムノートを執筆したりするなど、活動の幅を広げている。

留学のためパリに越してから2ヶ月半が過ぎた。生活習慣が固まってくれば驚くようなことも減って、おのずと言葉数も減ってくる。ちょくちょく足を運ぶ劇場で活きた言葉に身を浸しているときを除けば、ごく静かな日々ではあるが、思いがけず言葉の喧騒に巻きこまれることもある。
図書館からの帰り、メトロに乗ると車両の向こう端から女性2人の諍いが聞こえてくる。事の発端を知らなければ恐ろしい早口でもあり、何を言っているのかはさっぱり分からない(周囲はそろって苦笑いしていたから、あまり褒められた内容でもなかったのだろう)。同じ車両ばかりかその両隣の車両の乗客までが見守るなか、2人はそこから4、5駅先まで、一瞬たりとも言葉を絶やすことなく言い争っていた。
一方が捲し立てるのではなく、互いにかぶせあい、相手の言葉尻を食って、メチャクチャではあろうと言葉に言葉を継ぐ。列車の轟音をものともしない声量でフレーズが次々と立ち上がり、衝突する……パリのメトロは、物乞いであれミュージシャンであれ、普段から言葉が通過していく空間だけれど、たまたま鉢合わせた見ず知らずの人間同士のあいだで示された(当人たちさえ思いもよらなかっただろう)言葉のもつポテンシャルに、こちらはただただ絶句した。自分が乗ってしまったのは、そういう振る舞いをしうる言葉の往来のなかなのだと。
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