Fashion Tech News symbol
Fashion Tech News logo

【リレーコラム】ヒッピーファッションを身にまとうということ(市川結城)

PROFILE|プロフィール
市川結城

1994年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程に所属。専門は、ホルクハイマーを中心とするフランクフルト学派研究。https://researchmap.jp/yuki_ichikawa

あるファッションを身にまとうとは、単に「身体」=「肉体」の上に外皮をまとわせることではない。鷲田清一が述べる通り、「第二の皮膚」をまとうことである(鷲田 2012: 25-34, 212)。これは単なる比喩ではなく、我々は自己(の身体)の諸イメージを断片的にしか獲得できず、それらを「縫い上げて」はじめて「身体」が作り上げられるのである。それを経ていない「本当の無垢な身体」は存在しない。ファッションはそのようにして我々と関係を取り結んで来た。
もっと言えばファッションとは身体の表面を変更させるだけでなく、「生存と感受性のスタイル」なのであり、それはわれわれの抱く細やかな欲望さえも垣間見えさせるものである(鷲田 2012: 252-256)。またそれは同時に、私自身の限界を超えたいという自己破壊的欲望を示すものなのである。しかも、身体や性への意識が社会において劇的に変容する中でファッションも変貌を被ってきたのであり、その最初の大変革がまさに本稿の扱うヒッピーファッションないしサイケデリクス・ファッションだったのである。
私は普段いわゆるヒッピーファッションを身にまとっている。ヒッピーファッションとは具体的に言うと長髪、ヒゲ、タイダイ染めのシャツ、ヘアバンド、ジーンズ、ピースシンボルなどを身にまとうものである。適当にインターネットで検索すれば大体わかっていただけると思う。
私がヒッピーファッションを身にまとう主な理由としては、ボディラインを隠せること、サイケトランスが好きであること、Yシャツのようにぴっちりと体にフィットするのではなく、「第二の身体」と皮膚との間にゆったりと空間をもち過ごせることなど様々だが、最も大きいのは、それが60年代的「大いなる拒絶」(H.マルクーゼ)のシンボルの一つであるところだろう。
私は普段、批判理論と呼ばれる思想家たちを中心に研究している。批判理論の中核をなす概念は「否定」である。それは現状に対する抵抗の契機を重要なものとみなしている。資本主義をはじめとする諸々の制度、すなわち我々に特定の生き方を押し付け、それへの適応を迫るシステムに対してノーを突きつけ、「自由」や「平等」といった理念の実現を目指すものこそ、批判理論の中核をなすものだろう。それをイカした仕方で実践してきたのが、ヒッピーをはじめとする60年代の運動だったし、現在に至るまでそれを引き継いで試行錯誤してきた歴史があるのだ。私は「現状否定」という共通の理念ゆえにヒッピーをリスペクトした格好をしているのだと言える。
「ヒッピーファッション」は最初から抵抗の意志を示すものではなかった。ここには流行=ファッションが特定の意志表明のアイコンとなる力学が働いていた。ヒッピーファッションがどのようなものに「なったか」について、私が気に入っている一節を引用しよう。

際限なく伸びる頭髪は政府の理不尽な抑圧に逆らっていた。……体制からの弾圧によって、はじめ流行りの髪型でしかなかったものはずっと大きな意味を持つようになる。……連邦政府なりサンフランシスコ市当局が大騒ぎすることの背後にあるものが浮かび上がってくるころには、新しい髪型はただのファッション・スタイル以上のものとなっていた。長髪や立派な口髭は自分たちの思想信条を公にするためのシンボルとなっていた。髪を伸ばすことは、ホモセクシュアルであるとかホモセクシュアルでないとかと示すためのサインではなくなって、自分が人間としての譲れない一線については妥協するつもりがないことを示すための行為になっていた。(Perry, 1970=2021: 238-239)
太字部分は原文だと傍点表記

長髪やタイダイ染めシャツはもはや「ただの」長髪やタイダイ染めシャツではないのであり、このファッションを身にまとうことがすなわち現行体制の否定という思想の強い表明となるのである。
しかも今日なおその意味合いは生きているのであり(2)、単なる過去の流行のリバイバルではない。ヒッピー(ファッション)のリバイバルは、「自由」や「否定」といった理念を再度主張し直す身振りとして今日も意味を持つのだ。その際、我々は『ヒッピー・ガイドブック』にあるような様々な手法を身につけ、能動的にヒッピーに「なる」ことができるのである(Cain and Miternique 2004=2006)。
 
さて、ここからは非常に原則的な話をする。
とはいえこうしたカウンターカルチャー的なものが資本主義に取り込まれ、さらには資本主義を加速させる結果になっていることは頭の片隅に置いておかねばならない。ジョセフ・ヒースとアンドリュー・ポターの『反逆の神話』を参照されたい(Heath and Porter 2004=2021)。ヒッピーファッションがこのように現在資本主義に「包摂」されているだけでなく、その本質としての構造的搾取の観点からヒッピーファッションを見ることも当然必要である。
1 / 2 ページ
この記事をシェアする