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【リレーコラム】父国語の書き手:韓国語を身に纏って(紺野優希)

PROFILE|プロフィール
紺野 優希(こんの ゆうき 콘노 유키)

日本に住みながらも、主に韓国で活動している美術批評家・インディペンデントキュレーター。「アフター・10.12」(Audio Visual Pavilion・2018)、「韓国画と東洋画と」(gallery TOWED, FINCH ARTS, Jungganjijeom II・2022)などを企画。日本と韓国の展覧会・イベント情報を紹介するポータルサイト「Padograph」の韓国担当。GRAVITY EFFECT 2019 美術批評コンクール次席。

「こんにちは。韓国と日本で美術展を見て文章を書いている、紺野優希です。通訳無しの発表です。よろしくお願いします」と、韓国語で冗談っぽく言うのが、イントロにおける私のレパートリーとなりつつある。「日本の方ですか?」と聞かれれば、「なんとも微妙なところですね。なにせ、韓国には中高大大学院までいましたので」と、答える。小学校を卒業してすぐ、私は韓国ソウルに渡った。そして今は、韓国の現代美術・コンテンポラリーアートという狭い世界で、書き手として批評活動を行ったり、大勢の前で発表をしたりしている。住まい──住所、家族、それらを囲うハードウェアとしての家──だけ日本の状態と、言えるのかもしれない。「ペンネームですか?」「ご両親は韓国の方?」「帰国子女ですか?」「大学からこちらに?」どれも違う。私は小学校を卒業後、両親に送られ単身で留学し、特に思うことなく14年を韓国で過ごしてしまったのだ。きっかけたるきっかけはあったかもしれないが、私としては、なんだかんだ韓国に長居してしまった感覚に近い。移民や移住にしては大がかりではなく、留学にしてはヴィジョンもなかった。小学校を卒業した当時の感覚は、今でも変わらない。
高校卒業後は日本に帰国せず、ソウルに残って大学に通った。美術批評を志して、ホンイク大学で芸術学を専攻した。2017年からは芸術学の修士課程で学び、その頃から、韓国のコンテンポラリーアートの批評家として活動を始めた。今年(2023年)は20回近く韓国へ足を運び、ひたすら美術展を見て、打ち合わせをこなし、機内で原稿を書いた。通訳や翻訳の仕事までカウントすれば、日本語で書いた仕事は5パーセントにも満たないのではないか。それくらいたくさんの作家論や批評、レビューを書いて、今年も終わろうとしている。(もしくはもう終わっていたり、また新しく始まろうとしたりしているのかもしれない。)かれこれ、書き手としての活動を始めて、6年も経ったことに私自身驚きを隠せない。
そんな私が韓国のコンテンポラリーアートに関心を持つようになったきっかけは、2017年にある通訳の仕事を引き受けたときのことだった。日本人アーティストの通訳を引き受けたトークイベントで、当時活動をしていた韓国の美術家の発表を聞く機会があった。2010年の半ば、私もソウルにいた頃のアートシーンの話だった。ソウルという同じ場所にいたにも拘わらず、なぜ自分はこの動向に見て触れることがなかったのかと、衝撃を受けた。ほぼ同じタイミングで修士課程の同期と美術批評のコレクティブを組んで見聞きする情報が増えて、韓国の若手が運営しているスペースや企画展・個展にリーチできる限り足を運んだ。それは今でも続いている。メンバーと展示について語りながら、レビューを書いてコレクティブのページにアップしていくうちに、ありがたいことにお仕事の連絡をいただくようになった。そうして、書き手としての私の活動はスタートした。
書き手としてのアイデンティティというものがあれば、それは韓国に近いのかもしれないと、ここ数年思うようになった。数年前、日本語で原稿を書いているときに、どうも筆の進み具合がよろしくなかった。おかしい。母国語なのに、漢字だって忘れているわけではないし、本だって読める。当然のように家では家族と日本語で話しもする。(現にこの原稿だって、日本語で書いているではないか!)でも、韓国語のようにスラスラ書けない、そんな日が続いて、日本で書き手としての活動をどう続けるか悩んでいた。「書けばいい」とは言うものの、それはどこまでも「言うもの」であって、書けないならどうしようもない、というのが個人的な気持ちだった。
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