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2023.04.13

【リレーコラム】セクシーな自己啓発──男性はいかにして身体に出会うのか? 投影手段としての美少女について(難波優輝)

PROFILE|プロフィール
難波優輝(なんばゆうき)
難波優輝(なんばゆうき)

1994年生まれ。美学者、SF研究者、会社員。修士(文学、神戸大学)専門は、分析美学とポピュラーカルチャーの哲学(バーチャルYouTuberとSF/ファンタジー)。最近の著作に『SFプロトタイピング』(共編著、早川書房、2021年)、『ポルノグラフィの何がわるいのか』(修士論文)、「メタバースは「いき」か?」(『現代思想』)など。短編に『異常論文』収録「『多元宇宙的絶滅主義』と絶滅の遅延」(早川書房)。『ユリイカ』『フィルカル』などに寄稿。

人に勧められてネイルを始めたことがある。自分の爪に、冷ややかなベースコートが塗られ、奇妙に温度が奪われ、爪が息苦しいような感覚になる。光を反射させる。てらっと光る爪を見ていると、胸の高鳴りを感じる。ラメ入りのネイルラッカーが重ねられ、少し待ってトップコートが爪に載る。乾いてから、爪を眺める。「爪があったんだ」と初めて気づく。自分には爪があったこと、こんなかたちをしていること、こんな大きさであることを初めて知る。いままで、自分が自分の爪を知らなかったことを知る。人工物を塗り重ねられた爪は、自分の身体の一部のようには思えなかった。それはよそよそしく、どこかエロティックだった。

髪にメッシュを入れたいと思っていた。予約して、ゴールドアッシュに一部を染めた。嬉しくて初めて自撮りをする。とても可愛く色が入っていた。その日から、アイロンを使って、艶を出していく習慣ができた。オイルを塗って鏡の前で髪をなでていると、とても気持ちがいい。リップも新しく色つきのものに変えて、血色のよくなった自分の唇を眺める。指輪をいくつか買って嵌めてみる。好きな香水に出会う。風呂上がりに、青臭さを感じる植物の香りを2プッシュする。自分の周りに、生気を帯びて熱帯めいた雰囲気が広がって、追随して香る。自分という存在がセクシーだと感じる。

私は自分を男性だと思って生きている。周囲の人々から強いて男らしくあれ、と要求された覚えもそれほどなく、また、男らしさの要請に応えなければ、という内的なプレッシャーもなかった。ただ、自分の身体がセクシーなものだと感じられるようになったのは、かなり最近のことだ。おそらく、私も意識せずに従っていた「男らしいあり方」の中には、自分の身体をセクシーなものとしてまなざす、という目線を育まないような、暗黙のルールがあるのかもしれない。もちろん、筋骨隆々な男性を「格好いい」と称賛し、同時に、鏡に映る筋骨隆々な自分の姿に「格好いい」とうっとりするようなステレオタイプな男らしさの中には、自分の身体をセクシーなものとして味わう態度がある。だが、その際に味わわれるのは「自分の身体」ではなく「男らしい身体」という理想的な身体の象徴だ。そうした象徴を介して自らをまなざす、迂回したステレオタイプ的感性がここでは働いている。

私はそうした筋骨隆々な身体を生きているわけではなかった。筋骨隆々な身体を男らしく美しいと思う気持ちはまったく自分の感性に染みついていなかった。と同時に自分のこの身体を美しいもの、セクシーなものとして味わう契機もこれまで持たなかった。ネイルをして、髪を染めて、リップを塗り、指輪を嵌め、香水をつけたとき、私は私の身体を自らセクシーなものだと判断した。そのとき、私は、自分を感性的にとてもよい存在だと感じ、自分の美に喜びを覚えた。

白地図から美しさへ

何もつけず、何も加工しない私の素の身体は、私にとって白地図のままで、そのかたちや特性や美的性質に私は気づくことができない。私の素の身体を色づかせ、区切り、染め、飾り、香らせて初めて、私は私の身体に気づく。美的性質に思い当たる。もしかすると、少なくない男性は、自分の身体の存在に気づいていないのかもしれない。少なくとも私は自分の身体に気づくまでにかなり時間がかかった。

男性用化粧品の進出や一般化が徐々に進みつつあるなか、男性もまた女性のように自らの身体に過剰に関心を持たなければならないようになる、それは、自由を奪うことになる、という危惧をどこかで聞いたことがある。杞憂ではない。しかし、私が関心を持つのは、男性が自らの身体を化粧や装身具によって発見する機会がますます高まるときに、男性が自らの身体を発見した際それを感性的に味わえるようになる可能性だ。

男性は一般に、うっすらと自分の身体を嫌っているのかもしれない。周囲の男性(とくに異性愛者の男性)を眺めていてそんなふうに思うこともある。そうした自己の身体への嫌悪の裏返しに「イケメン」的なものへのやっかみや、「みんな女性はイケメンが好きなんだろう」と吐き捨てるような一部の男性に見られるミーム的なステレオタイプがあるのかもしれない。自分は身体の美しさを持たないとみなし、それによそよそしさを感じている男性は少なくないと思う。

「美少女のアバターになって初めて自分のことを可愛いと思える。そして、美少女になって初めて感情を表現できる。この男性の身体で嬉しがったりしたら気持ち悪いじゃないですか」と、ある男性の哲学研究者から自身の思いを聞かせてもらったことがある。彼にとって、美少女のアバターになることは、自分の身体をいったん無視して、新しい可愛らしい身体として自らをセクシーなもの、あるいは可愛いものとしてまなざして生きる可能性なのだと思う。それは彼にとっては一つの喜びの源泉になりうる。

だが、彼自身の身体を使って、彼は彼のセクシーさに気づくことはできないのだろうか。彼は美少女アバターを好みつつも、しかし、紛れもない彼自身の身体をまなざし、そのセクシーさを味わうことはできないのだろうか。それは「イケメン」でなければできないことなのだろうか。できる、と私は思う、あなたがあなたの存在のままで。

新しいテクノロジーが求められている。それを、セクシーな自己啓発と呼んでみよう。とりわけ男性の身体のセクシーさの発見を助けるような技術が求められている。それは、ネイルや染髪やメイクやアクセサリーや香水のような技術かもしれないし、バーチャルな技術かもしれない。自らの身体にセクシーさを発見することは、とくに、それをもっぱら他人に発見することが多かった者たちにとって、自らの存在の価値を見直す大きなきっかけになるだろう。そのためのどんな技術的可能性があるのか、どのように自らのセクシーさの発見へと人々をガイドできるのか。こうした問いに私は関心がある。[1]

[1]本稿の問題意識とつながる私の論考を参考に書いておく。ヴァーチャルファッションについては、「ヴァーチャルファッション」『クリティカルワーズ ファッションスタディーズ』 156-161 2022年、を。男性がアバターを用いることについては、「身体のないおしゃれ––––バーチャルな「自己表現」の可能性とジェンダーをまとう倫理」『vanitas』 791-105. 2021年、と「メタバースは「いき」か?」『現代思想』vol.50, 11. 76-85. 2022年、を。おしゃれについては「おしゃれの美学––––パフォーマンスとスタイル」vanitas 6 138-156. 2019年、を。身体イメージと倫理的な問題については、『ポルノグラフィの何がわるいのか』修士論文 2021年(https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/download/293105/fb5cfbc687119f4462497c769a5ded8e/21280?col_no=2&frame_id=603867)を参照してほしい。本稿のようにセクシーさを軸に自己イメージを考えていく作業を引き続き進めていきたいと感じている。

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