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【リレーコラム】江戸時代の小袖類における模様と技法について -鹿の子絞りを中心に-(納多由紀乃)

PROFILE|プロフィール
納多 由紀乃(のうだ ゆきの)

東京藝術大学大学院 美術研究科芸術学専攻修士課程1年。研究分野は工芸史であり、専門は染織史である。現在は友禅染の小袖を中心に、模様表現について研究を行っている。

小袖は現代の「きもの」の原型となった衣服で、袖口が狭いことに由来する。江戸時代には、小袖はさまざまな身分の人々が着る表着となった。ファッションである小袖には流行があり、時代によって模様の構図や技法などが変化してきた。ファッションとテクノロジーというテーマから、小袖類における模様と技法の関係について述べたい。
今回は、鹿の子絞りという技法に注目する。鹿の子絞りは、布を小さくつまんで糸で括り染料に浸すと、糸で括った部分が四角い粒状に染め残るという技法である。つまんだ部分の先端は染料に浸るため、粒の中央のみが点状に染まる。鹿の子絞りの名称は、小鹿の背中の白い斑点に似ることに由来する。粒の周囲には、「しぼ」と呼ばれる括りしわが見られる。以下では鹿の子絞りを用いた小袖類を取り上げ、鹿の子絞りが小袖類の模様においてどのような役割を担っているのかを考察していく。
江戸時代のはじめ、17世紀の小袖である《小袖 黒紅綸子地草木鶴亀幾何学形模様》(図版1)では、黒紅の地に鹿の子絞りで幾何学模様が表されている。黒紅は紅がかった黒色を指し、江戸時代初期の流行色であった。鹿の子絞りの周囲には、動植物が溢れ出すように刺繍されている(図版2)。地には僅かに金箔の跡が見え、当初は箔で模様をほどこす摺箔の技法を用いて霞模様が表されていたことがわかる[1]
図版1:《小袖 黒紅綸子地草木鶴亀幾何学形模様》、江戸時代・17世紀、東京国立博物館所蔵、出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
図版1:《小袖 黒紅綸子地草木鶴亀幾何学形模様》、江戸時代・17世紀、東京国立博物館所蔵、出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
図版2:《小袖 黒紅綸子地草木鶴�亀幾何学形模様》(部分)、出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)をトリミングして作成
図版2:《小袖 黒紅綸子地草木鶴亀幾何学形模様》(部分)、出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)をトリミングして作成
《小袖 黒紅綸子地草木鶴亀幾何学形模様》において、鹿の子絞りは黒紅の地から浮かび上がる白い粒として際立ち、石畳模様や縞模様など大きな模様を効果的に表している。全体を見渡すと、柔らかな質感の色糸や立体的に輝く金糸[2]、フラットに光を反射する摺箔など、おのおのの素材が独自の色や光によって小袖に彩りを加えている。その中で、鹿の子絞りは生地の上から色を加えるのではなく、生地の白を染め残すという方法で、色と光に満ちた小袖にアクセントを与えている。
刺繍においても花や青海波文様に白い糸が用いられ、光沢のある明るい白が黒紅に映えている。対して、鹿の子絞りは白い粒の中央が僅かに黒紅に染まっているがゆえに、離れた場所から眺めると黒紅と白が混ざり合ったような色にも見える。色数や技法が限られた小袖において、鹿の子絞りは色の幅を広げるという点で重要な役割を果たしていたのではないかと考えられる。
鹿の子絞りは手間のかかる贅沢な技法である。小袖全体に鹿の子絞りをほどこした惣鹿の子は幕府による奢侈禁止令の対象となり、天和3年(1683)の禁令において庶民が惣鹿の子を使用することは禁止された。そこで鹿の子絞りの代わりに、鹿の子絞りの模様を彫った型紙を用いて模様を染めた、摺匹田あるいは型鹿の子と呼ばれる技法が多用されるようになった。
18世紀の《振袖 鬱金色綸子地牡丹橘網模様》(図版3)は、鹿の子絞りと摺匹田を併用した振袖である。橘や牡丹に摺匹田を用い、網模様には鹿の子絞りを用いている。橘や牡丹の花や葉には刺繍もほどこしている(図版4)。
図版3:《振袖 鬱金色綸子地牡丹橘網模様》、江戸時代・18世紀、東京国立博物館所蔵、出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
図版3:《振袖 鬱金色綸子地牡丹橘網模様》、江戸時代・18世紀、東京国立博物館所蔵、出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
図版4:《振袖 鬱金色綸子地牡丹橘網模様》(部分)、出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)をトリミングして作成
図版4:《振袖 鬱金色綸子地牡丹橘網模様》(部分)、出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)をトリミングして作成
鹿の子絞りで表された網模様は深い青から浮かび上がり、《小袖 黒紅綸子地草木鶴亀幾何学形模様》と同じく濃色の地との対比が特徴的である。鹿の子絞りが線によって大きな模様を表すのに対し、摺匹田を用いた橘や牡丹の幹や花などは鹿の子模様で埋め尽くされ、シルエットのように表されている。摺匹田は型紙を使用しているため、鹿の子絞りと比べると鹿の子模様が均質であり、細い曲線や花びらの輪郭などを明瞭に表すのに適している。対して、糸で括った鹿の子絞りは粒が大きく、摺匹田のように粒の輪郭が均一ではない。粒の周囲にはしぼができ、独特の立体感を生む。つまり、《振袖 鬱金色綸子地牡丹橘網模様》では、鹿の子絞りによる大らかで柔和な質感の粒と、型鹿の子による均質な形の粒とを、模様の性質に応じて使い分けているのである。
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