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【連載】ものと人のための補助線 #10:田中一光の鼻歌

PROFILE|プロフィール
角尾舞 / デザインライター
角尾舞 / デザインライター

慶應義塾大学 環境情報学部卒業後、メーカー勤務を経て、2012年から16年までデザインエンジニアの山中俊治氏のアシスタントを務める。その後、スコットランドに1年間滞在し、現在はフリーランスとして活動中。
伝えるべきことをよどみなく伝えるための表現を探りながら、「日経デザイン」などメディアへの執筆のほか、展覧会の構成やコピーライティングなどを手がけている。
主な仕事に東京大学生産技術研究所70周年記念展示「もしかする未来 工学×デザイン」(国立新美術館·2018年)の構成、「虫展―デザインのお手本」(21_21 DESIGN SIGHT、2019年)のテキスト執筆など。
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奈良駅で降りて少し歩くと、すぐにシカたちがいた。こんなにすぐに会えるとは思わなかったので驚いた。今月わたしが奈良へ降り立った理由は、奈良県立美術館で「田中一光 デザインの幸福」展があるから。同館へは駅から徒歩10分ほどで到着した。せんとくんが出迎えてくれた。
グラフィックデザイナーの故・田中一光氏は奈良県出身で、同美術館は田中氏の作品を200点以上コレクションしている。今回の展覧会ではその中から約180点が選ばれ、顔や植物や文字、あるいはロゴマークなど、いくつかのジャンルに分かれて展示された大規模なものだ。
代表作のひとつである顔をモチーフにした作品群や、琳派(大和絵を基盤とし、17世紀初頭に生まれた造形芸術上の流派)から着想を得たと思われる曲線的な流水のモチーフ。田中氏のオリジナルフォントである「光朝」を用いたポスターや、ピラミッドやロープなど代表的なモチーフの作品群もある。一つひとつの作品に見覚えはあっても、面として俯瞰することで改めて同氏が向き合っていた題材や手法、そして姿勢が浮かび上がる感覚がある。
田中氏はエッセイも多く書き残しているが、『デザインの仕事机から』には自身のデザインに対する姿勢として以下のように書いている。
「デザインは、苦行であってはならない。苦しんだら、どんどん深みにはまって出られなくなってしまう。追い詰められたら、押しつぶされてしまう。鼻歌でも歌いながらやるくらいがいい。その方が、でき上がりに鮮度がある。」
田中一光(1990)『デザインの仕事机から』p.75 白水社
実際に鼻歌まじりに作品に向き合っていたかはわからない(実際上記の文章の後には「といっても現実には、いつも鼻歌まじりに仕事をするわけにもいかず、」と続く)。しかし会場で作品を一望した際に多くの人が感じるのは、その色彩の豊かさや構図のダイナミックさ、モチーフに対する飽くなき探究心から受ける、前向きで力強い印象だろうと想像する。見る人に純粋な力を与えられるデザインというのは、実はとても稀有な存在だ。
会場に行く前に学んでいたことはいくつかあった。琳派の影響が有名だが、『日本の文様』という吉田光邦氏らとともに手掛けた書籍シリーズの編集の経験も大きかったこと。ピラミッドシリーズは、70年代に流行した写真を中心としたポスター表現への、ある種のアンチテーゼでもあること。具体美術で有名な吉原治良氏との交流から、デザインやグラフィックアートのオリジナリティを高めたことなど。本人や周囲が残した資料から少しずつ浮かび上がる田中氏のデザインへの姿勢が、会場で答え合わせできるようだった。
田中氏は三宅一生氏との協業でも有名で、同展でも「IKKO TANAKA ISSEY MIYAKE」のアーカイブが見られる。今ではプレミアがついているような、貴重なコレクションでもある。会場の外では、イッセイ ミヤケの服をアーヴィング・ペン氏が撮影し、田中氏がその写真を用いてデザインしたポスターの特別展示もあった。
昨年、IKKO TANAKA ISSEY MIYAKEのVol.06が発表されたが、わたしもイッセイ ミヤケから依頼を受けてテキストで関わらせてもらった経緯があり、田中氏の経歴や作品はそのタイミングで少し学んだ。成田空港に設置されている陶板をモチーフとした《紫のかきつばた》のドレスと《赤と白のつばき》のコートがVol.06にあたる。グラフィックとしてだけでなく、陶板の形状が衣服の構造そのものになっている。
あまりに力強い大量のポスターやデザインの図版を眺めていると、こんなにも多くの表現やデザインと向き合った人が受けていた、作品には表出していない孤独はどれほどのものであっただろうかとも想像してしまった。帰宅してからエッセイを読み返すと、上記の書籍からの引用の後には、以下の文章が出てくることに気づいた。
「ほんとうの創造には連帯は望めにくい。発想は、ひとりだけの出来事である。」
グラフィックデザインの一時代を築いた田中一光氏のアーカイブが一望できる、貴重な機会。無印良品やLOFTのロゴデザインから、個人的なグラフィックアートワークまでが並ぶ会場で、色褪せないデザインのパワーを浴びられる。

展覧会情報
特別展 田中一光 デザインの幸福
奈良県立美術館
2023年4月22日(土)~6月11日(日)(月曜休館)
9:00~17:00(最終入場時間 16:30)

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