2021.06.23

【連載】多層なるゲームチェンジ:Culture Studies: Fashion after 2010 #001

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PROFILE|プロフィール
Yoshiko Kurata
Yoshiko Kurata

ライター / コーディネーター
1991年生まれ。国内外のファッションデザイナー、フォトグラファー、アーティストなどを幅広い分野で特集・取材。これまでの寄稿媒体に、Fashionsnap.com、HOMMEgirls、i-D JAPAN、STUDIO VOICE、SSENSE、VOGUE JAPANなどがある。2019年3月にはアダチプレス出版による書籍『“複雑なタイトルをここに” 』の共同翻訳・編集を行う。CALM & PUNK GALLERYのキュレーションにも関わっている。[Photo by Mayuko Sato]

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700年程の歴史をもつファッションは、これまで時代の潮流と同期して、呼応するようにプレイヤーたちが数々の「ゲームチェンジ」を起こしてきた。例えば、退屈な雰囲気にスッとメスを入れるようにじわじわとさざ波をたてるものもいれば、ド派手に登場して話題を巻き起こすものもいれば、多種多様なスタイルで時代をひっくり返し、新しい着地点へと促す。

それは決してファッションデザイナーだけではなく、フォトグラファーもモデルもジャーナリストもみんなが「ゲームチェンジ」させるために熱を込めていくものだと思う。

 さらにこの10年を振り返ると、ファッションはよりファッションの言語を越えて、デザイナーたちと彼らを取り巻く周りのコミュニティ ーアーティスト、ギャラリー、ミュージシャンなど ー が持つバックグラウンドこそがブランドの個性と価値として強く映り、SNSや公の場での彼らの声が幾度となく広がることで多重にも新しい息吹をもたらしてきた。

「ゲームチェンジ」の原点

わたしがその洗礼を始めて肌で感じたのは、2012年に訪れたロンドンファッションウィークだった。

 当時は、まだ学生ということもあり、ショー会場には入れなかったもののメイン会場「サマーセットハウス」に行けば、たまり場のように同世代の学生がたむろして、そこでお互いの装いを通して、コミュニケーションが自然発生するような光景があった。(もちろんこっそり入れたアフターパーティもしかり)

 当時きゃりーぱみゅぱみゅがDAZED & CONFUSED の表紙を飾るといった様相の時代である。同じ時代を過ごすわたしも当時「THE 原宿ファッション」を装っていた。すぐさま現地の同世代に声をかけられ、お揃いの「TOKYO BOPPER」のシューズを持っていること、同じ速度で東京のファッションデザイナーを知っていることを話し、そして現地にも東京のブランドを取り扱うセレクトショップ「PRIMITIVE LONDON」が存在することなど色々な場所へと連れていってくれた。(のちに彼らは、MACHINE-AのスタッフやKiko Kostadinovの初期アシスタント兼モデルになるなど着実に活動を広げていくこととなる)

新しい「言語」の提示

といっても、彼らとの会話を思い返せば、当時のロンドンファッションウィークは終息のときを迎え、次の新しい才能が出てこないかと退屈したムードだったと記憶する(いま思えばロンドンだけではなく、ファッションウィーク全体的にも同じようなムードが流れていたのかもしれない)。

そこで「ゲームチェンジ」を持ち込んできたのは、2013年1月に2013F/Wコレクションを発表したJ.W.Andersonだった。

ショーを発表した次の日には、各メディアそれぞれに賛否両論の意見を放ち、まだ当時「ジェンダーレス」「ユニセックス」という言葉が今ほど普及していなかったことで定義もさまざま。(2021年ともなった今となっては、ファッションとしてこのようなキーワードに抵抗を示すような人は、もはやいないであろう)もちろん、それまでも女性がメンズウェアを着たり、古着によるジェンダーのミックスは日常的に行われてきたが、メンズウェアのコレクションから強いメッセージを放つことは当時稀なことだった。いま振り返れば、スタイルが反復し更新し続けるように、ファッションにおけるキーワード的な「言語」もこうして「ゲームチェンジャー」の登場とともに生み出されていくのだと実感する。

 一方、当の本人は、

「メンズウェアのデザイナーがウィメンズウェアに踏み入れることにみんなが慣れていなかったんだと思います。常に僕のブランドはAndrogynyであると考えています」

「僕にとって、男性と男性、女性と女性、女性と男性、そのように性別と服がミックスしていることは当たり前のこと。物語や感情を伝える服を着るということだけで、性別はあまり関係ありません」

と、2013年のショーが終わった直後のBussiness of Fashionの記事 *1で語っている。「Androgyny」は、日本語直訳としては「両性具有」に翻訳され、ほかにもGUCCIやThom Browneのコレクションなどにも多用され、スタイル、言語、そして美的感覚ともに10年をかけてじわじわと認知されていったように思う。(この10年間の「言語」の変化ものちに詳しく語っていく)

ビジュアル表現も時代を語る

また「言語」だけではなく、ビジュアル表現としても「ゲームチェンジ」は起きる。

J.W.Anderosonは、それまでコントラストが強いデジタル写真がキャンペーンフォトのメインストリームだったところに、Jurgen Teller とはまた別の視点としてJamie Hawkesworthによるイメージを初期のコレクションからLOEWEまで繰り返し打ち出してきた。

特に日本ではブランドがキャンペーンフォトを打ち出す機会は、ほとんどと言って皆無に近く、こうした現象はただ単なる「広告写真」としてしか見られずスルーされることも多いが、Jamie Hawkesworth と同時期に、Harley Weir やColin Dodgson、Zoë Ghertner、Tyrone Lebonなども活躍を遂げることで、フィルム写真の再到来は確信のものとなる。

そして写真家の眼差しだけではなく、そこに写るモデルやスタイリングによる美意識の変化も同時多発的に起きていく。(また2010年代のファッションフォトの変化は別の回で詳しく書く)

「ゲームチャンジャー」が生まれる所以

そうした「ゲームチェンジャー」による新たな言語、ビジュアル表現の提示を見つめる中で、当時のわたしは頭の片隅で東京のシーンのことを思い出す。

なぜ時代への新しい一声は一発花火の目新しいものに終わらず、ここロンドンでは、その後もインディペンデントな若手ブランドは継続した力をもって波紋を打ちだし続けられるのであろうか?

それが不思議だった。いずれも継続しないと、新しい表現はコンテクストとして歴史の中にかたちとして残らないからだ。コンテクストとは日本語では「文脈」と書く、つまりは脈として紡がれ、かたちとして残るものになるということだ。

その謎は、つまるところ土壌があることに行き着き、それ以来、なにか遠くから次なる盛り上がりを感じるときは、常にその盛り上がりを支え続ける構造について考えるようになる。

 それはファッション業界における”プラットフォーム”という構造だ。

例えばロンドンで感じたその謎は、のちにBRITISH FASHION COUNCIL (英国ファッション協議会)を母体として行われる「FASHION EAST」や「NEWGEN」といった若手ブランドを支援・輩出するプログラムを知ることで、のちに明らかになった。

これまでにKim Jones、Gareth Pugh、J.W.AndersonやCraig Greenに続き、A-COLD-WALL*、Charles Jeffrey LOVERBOY、Kiko Kostadinov、Molly Goddard、Richard Quinn、Stefan Cookeなど数々のデザイナーが着実に輩出されてきた。そして彼らは、継続的にランウェイショーやインスタレーションを通してコレクションを発表することで、のちにビッグメゾンのディレクターへと就任する道を切り開いていく。

これが”プラットフォーム”である。若いデザイナーが生まれるもしくは見出され、そしてある程度の時間をかけてビジネスとして成り立つまで育てられ、新しいコンテクストと伝統的なコンテクストが結びついて歴史を継承していく構造の源泉となっている。

 そういった若い才能を信じる力は、Central Saint Martinsをはじめに教育システムが整っていることを前提にしつつも、やはりいままでヴィヴィアンウエストウッドやアレキサンダーマックイーンを筆頭に労働階級からクリエイションで化ける原石があることを肌で感じてきたから。そんな仮説を立てながら、周りのこれからCentral Saint Martinsへの入学を迎える友だちを見守っていた。

もちろん、その中の全員が生き残れるわけでもなく、Meadham Kirchhoffのようにカルト的な人気を誇り、消滅するケースもある。しかし生き残ったデザイナーたちは、プラットフォームがあるおかげで繰り返し仕掛けにいくことができるのも事実。

このプラットフォームが業界のハードとして機能し、デザイナーやそこから生み出される現象は業界のソフトとして相互機能する。結局は、優秀なハード面があればなんでもいいという話でもないけれど、このハードがあるおかげで、ソフト面が天国にも地獄にも力を如何ようにも発揮できることは間違いないだろう。

 このように生み出されていく数々のチャレンジの中から「ゲームチェンジ」が華ひらいてから、デザイナーが時代に一石投じた余波が、新しい「言語」の誕生、ビジュアル表現などに影響していることをロンドンで目の当たりにした体験は強烈なものとなった。そして、わたし含め世界中の誰かもそのような現象が大なり小なり起きる次なる瞬間をどこかで待っていたのかもしれない。

更地からはじまる変化

その瞬間をダイナミックに光らせたのが、2015年頃を境にしたVirgil AblohやVetementsのストリートからの下剋上であることは今まで幾度となく、ファッション、音楽、カルチャーの観点から語られてきた。もちろんビジュアル表現においても変化の一端を担っていることは間違いなく、本連載の別記事でも語ろうと思う。

しかし、更地のところから「ゲームチェンジ」を起こしたというところにおいて、同じく2015年過ぎから徐々に世界へ声を大きくし始めた上海のファッションシーンは、どこか2012年のロンドンで起きた快進撃と似ているようにわたしの目には映っていた。

 もちろん、冷静な目線で上海のファッションシーンを含む中国全体の成長を見つめれば、経済成長と人口数が強烈なカンフル剤とはなっているため、同時代にパリで起きた快進撃とは勝手が違う。

けれども、まだうぶ声を挙げて日は浅いとて、Angel Chen、Susan Fang、Xander Zhouなど中国出身のブランドがグローバル規模で名をあげるまでに至ったのは、振り返るとたった5年間ほどの出来事なのである。

 次回、その加速的なゲームチェンジを生み出した上海のプラットフォームがロンドンの進化形のように映ること、そしてその進化形を生み出したリアルとバーチャルの狭間にあるハイブリッドな環境や感覚について論じていく。

*1:https://www.businessoffashion.com/articles/news-analysis/turning-point-how-j-w-anderson-became-a-brand-builder

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