2022.03.23

【連載】多層なるゲームチェンジ:Culture Studies: Fashion after 2010 #005

#Culture Studies: Fashion after 2010
PROFILE|プロフィール
Yoshiko Kurata
Yoshiko Kurata

ライター / コーディネーター
1991年生まれ。国内外のファッションデザイナー、フォトグラファー、アーティストなどを幅広い分野で特集・取材。これまでの寄稿媒体に、Fashionsnap.com、HOMMEgirls、i-D JAPAN、STUDIO VOICE、SSENSE、VOGUE JAPANなどがある。2019年3月にはアダチプレス出版による書籍『“複雑なタイトルをここに” 』の共同翻訳・編集を行う。CALM & PUNK GALLERYのキュレーションにも関わっている。[Photo by Mayuko Sato]

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いままで数回にわたって、わたし個人の視点で触れてきた2010年代ファッションのビジュアル表現におけるゲームチェンジ。もう少し俯瞰した視点で2010年代の輪郭をなぞっていきながら、まだ言語化できない現在進行形のことまでまとめられないかと思い、今回はゲストに村上由鶴さんを招き、紐解いていきます。村上さんは、現在研究者・ライターとして、The Fashion PostPopeyeで写真の美学を軸に連載を行い、最近では「発明」という視点からファッションフォトの歴史をまとめています。これまで連載で焦点を当ててきた2010年代に起きた新しい身体表現の起点を探りながら、現在進行形で変容している表現や価値観についてお話させていただきました。

そしてこの回をもって、この連載は一区切りとなります。またどこかでゆっくりとファッションにおけるゲームチェンジを語れる機会があれば、そこで皆さんと再会できることを楽しみにしています。

50年代を起点に始まる「女性性」への意識の変容

前回の記事で触れた、モデルキャスティングの変化と新しい身体表現は、理想の美への価値観を崩すカンフル剤としてあらわれ、そこに拍車をかけるようにSNSでのオーディエンスの声は、よりダイレクトに「理想の美」に対しての意識を覆していった。その変革によって「性」に対しての固定概念が取り払われていったわけだが、村上さんの視点から見ると、それらの変革の大元となるファッションフォトの起点は、50年代に活躍していたアーヴィング・ペンやリチャード・アヴェドンらの表現がベースにあるという。

「男性目線からのグラマスな女性モデルという見られる存在としての『女性性』の捉え方に、新しい女性像を示して台頭したのが70年代に登場したヘルムート・ニュートン、デボラ・ターバヴィル、ギイ・ブルダンなんですよね。1960年代から70年代にかけては社会的背景としても、女性たちによる女性解放のための運動としてウーマン・リブが起きていたことも影響していたと思います。そうした背景をもとに、70年代に活躍した写真家たちはそれぞれが思い描く自立した女性を表現するために新しい『女性性』を写真を通じて表現していました」。

90年代のスーパーモデルブームが打ち出した新しい身体表現

といっても、グラマラスな身体の女性像というイメージは50年代から変わらず写し続けられていた。その固定概念を打ち破ったのが、90年代のスーパーモデルブームだったと村上さんは続ける。

「スーパーモデルブームが与えた影響は大きく、憧れの対象がファッションブランドや商品から、ファッションモデルに移り変わり、ファッション産業におけるパワーバランスが変わったのです。だから、ブランドも写真家もスーパーモデルブームに属していたモデルの起用を申し出て、モデルの方が仕事を選ぶという優位な立場でした。ケイト・モスを始め、彼女たちの身体は50年代〜70年代に主流だった”グラマラス”ではなく、細身で雰囲気のあるモデルたちで『ヘロイン・シック』と称されていました。ちょうど当時は、ストリートファッションやクラブカルチャーが盛り上がってきていて、特にヨーロッパでは大手のファッション雑誌媒体だけでなく、〈Purple〉や〈Self Service〉〈i-D〉などインディペンデントでニッチなファッション雑誌も台頭し、スーパーモデルたちはそれぞれの媒体で違った表情を見せていたんですよね。例えば、〈VOGUE〉ではゴージャスでラグジュアリーな雰囲気、一方で〈Purple〉では家で着替えている途中のようなリラックスなムード、そのどちらの顔も持っているモデルこそが”スーパー”だとされていたのではないでしょうか」。

その現象は、2010年代に登場したインフルエンサーにも似ているように感じる。アノニマスに一般人であった彼らが、写真を媒介に完成されたイメージからプライベートな顔まで見せることで、オーディエンスに親しみを感じさせ、ファッションへの入り口をつくっていく。しかし、スーパーモデルの存在は、写真家がいたからこそ成り立つものだった。

「スーパーモデルは、インフルエンサーと似ている点もありますが、写真家との共犯関係があったことは大きな違いですよね。当時、活躍していたマーク・ボスウィックやナイジェル・シャフランは、さっき話したような〈VOGUE〉などのメジャー雑誌に対する裏の流行として、モデルと信頼関係を築き、リラックスした近い距離で物憂げな雰囲気を捉えていました。そのあと2000年代に名前を聞かなくなった時期もあるけど、例えば最近ではナイジェル・シャフランはがアメリカ版〈 VOGUE〉などでベラ・ハディッドを撮影したりしています。彼らの活動が一周して注目され直している様子を見ると、アーティストや写真家が生き残るときには自らのスタイルを守ることの重要性を感じますよね。2010年代以降、セクシーではない、身体のフォルムや奇抜なポーズを強調する新しい身体表現がひとつのトレンドになっていますが、まさにそのアイデアを生み出したのが、90年代の彼らの仕事でした」。

前回の連載で紹介した「Posturing」でも、2010年代に起きた新しい身体表現には、マーク・ボスウィックやユルゲン・テラーなど90年代に登場した写真家たちのアプローチが影響を与えていると語られている。

もちろん"postuing”は完璧な形で突然活気付いたものではなく、ヴィヴィアン・サッセン、マーク・ボスウィック、ユルゲン・テラーなど以前から活躍している写真家たちのアイデアから生まれているものです。彼らは、新しいアプローチのもとになるような視点とアート、ファッションを融合させた写真家たちです。

Of course ”posturing “did not spring to life fully formed, but rather emerged from the ideas of a older generation of photographers, including Vivian Sassen, Mark Borthwick and Jurgen Teller, whose blend of art, fashion and questioning provided the foundations for this new approach. 
― POSTURING, edited by Holly Hay & Shonagh Marshall

2020年代においてその意識をアップデートしたフォトグラファーとして、同書でも紹介されているヴィヴィアン・サッセン、チャーリー・エングマン、パスカル・ガンバルテ、ハーリー・ウィアー、ティム・エルカイムの名前を村上さんは挙げる。

「90年代の写真表現の系譜を背景に2010年代に新しい身体表現が生まれたわけですが、もうひとつの背景としてプロフェッショナルが、自らの仕事としての『ファッション写真』の意味を探っていた動きもあると思います。つまり、一般の人が撮った写真とプロのファッション写真家が撮った写真や雑誌が見せるファッション・イメージがどう違うのか?ということです。2000年代までは、予算を持った雑誌がスティーブン・クラインやティム・ウォーカーなどと豪華なセットでストーリーを内包させる写真表現をつくっていました。写真家だからこそできるしつらえは、同時期に台頭していたブロガーやストリート・スナップとは明確に役割が違ったんですよね。でも、2010年代に突入すると、誰でも自分で撮った写真を自由に公に投稿できて、なおかつインフルエンサーは自身を被写体にして撮影と加工ができるようになり、もう一度写真家が撮るファッションフォトを問い直す必要が出てきました。そうしたふたつの背景が合わさって、新しい身体表現に行き着いたのかもしれません」。

2020年代の写真表現

実際、写真家だけの意識にとどまらず、ファッションフォトやエディトリアルへの意識は、2010年初頭に〈DUST MAGAZINE〉、〈BUFFALO ZINE〉、〈1granary〉、2015年以降には〈RE-EDITION〉、〈KingKong〉、〈MacGuffin〉など多様なコンセプトのインディペンデント雑誌が誕生したことからも見受けられる。同時期に、Gosha RunbchinskyやPALACE、GUCCI、VETEMENTSなどのブランドが続々と出版社・IDEAからブランドブックを出版していた時期でもある。画面上でスクロールする平面的な表現を物質的なかたちにアウトプットすることで、価値をつける流れが同時多発的に起き、少なからずとも巷でフィルムカメラによるテクスチャが再流行した現象ともリンクしていたようにも思える。

そこから、いよいよ2017年のInstagram Live機能によって各ブランドがSNSと切っても切れない関係になったことから、2020年代はスクロールされる中でのファッションフォトの意味も問い直され始めているのではないだろうか。

「新しい身体表現へのトレンドは続いていますが、もう一方で自分が踏んだプロセスを写真に残していくような表現も2010年代には目立っていました。基本的にファッションフォトって完成された最高の一瞬を残すのが今までのスタイルだったので、加工や合成が『バレる』ようなものはご法度だった。ですがいまは、フォトショップを使うことが暗黙の了解になってきたことで、フォトショップの画面タブごとキャプチャー(スクリーンショット)した『写真』であったり、加工の痕跡をあえて残すことでプロセスを自ら露呈する表現を多く見るようになりました。そうした加工の『盛り』表現から、近年は、Ladislav KyllarやPaolo Zerbiniなどの日中シンクロ(屋外で太陽光の元でストロボ/フラッシュを使う手法。影がなくなる効果がある)の表現に移り変わってきています。ストレートに撮影しているのに、加工や合成をしているように見えるような写真は、いわば、引き算的ですよね。画像加工の時代に適応した意表をつく写真表現だといえます。単なるファッションのルックであれば、モデルが新しいシーズンのコレクションを着てランウェイを歩く写真や映像はすぐにSNSや専用のサイトで共有されるわけですから、同じスタイリングのルックであってもそれと異なるヴィジョンを示せているか、ということをファッションフォトには期待してしまいます」。

たしかに2010年代後半のSNSで言えば、Instagramにてストーリー機能が解禁し、アーティスト、ファッションデザイナーなどがこれから完成する作品やコレクションのプロセスを意図的に種明かしすることで、その過程を「もの」あるいは「ブランドコンセプト」の付加価値として見せていた。デザインの手法としても、ヴァージル・アブローを筆頭に「サンプリング」が同時期のキーワードとして取り上げられ、これまでエクスクルーシブなものとして捉えられていたファッションの制作背景を公開することは今や当たり前のこととなっている。

90年代の余韻を残す日本のファッションフォト

これまでひとしきり、村上さんと90年代以降の2010年代のファッションフォトについて話してきたが、実際日本の2010年代のファッションフォトシーンはどう展開しているのだろうか。

「これまで話してきた通り、新しい表現が生まれるには、どこかを起点として前の時代や主流派への反動が起きると思います。しかし、日本では、やはり欧米のファッションシーン的な『反動』、あるいは欧米への『反動』が起こることはなく、ファッション・イメージが欧米への憧れに強く結びついてきました。そのなかで、90年代のストリートカルチャーと写真の結びつきは、世界のファッション写真の歴史において非常に重要だったし、日本のファッションやカルチャーが世界から注目されていた時期でもあったのかもしれません。だから、2000年代にスティーブン・クラインやティム・ウォーカーのような大掛かりなセットのファッションフォトが生まれたような『反動』がなく、90年代の表現が2010年まで続いてきてしまったように感じています」。

「加えて、国内の雑誌のあり方や、セレクトショップの文化などももちろん影響しています。商品が売りやすいイメージが重宝されるということもあるでしょう。例えば、フィルムカメラで撮影した『飾らない日常』的なムードを演出したファッション写真のスタイルは90年代からずっと健在です。実際、ペンやアヴェドンのような洗練されたファッション写真やティム・ウォーカーのファッション・ファンタジーの写真よりも、90年代から00年代にヨーロッパで流行した〈Purple〉や〈i-D〉などのニッチ・ファッションマガジンで見られた写真のようなスタイルのほうが、もしかして商品を購入するイメージはつきやすいかもしれません。実利的な要求も強くあって、日本では、ファッション写真のわかりやすい発明や革命的な表現が生まれにくいのではないかと考察しています」。

50年代を起点に波打つように写真家、そしてモデルやメディアも手を取り合い新たなゲームチェンジを今まで引き起こしてきた。そのゲームチェンジはその時代ごとにいかに影響力があったとしても、違う波がきてしまえば、一瞬にして勢いを失ってしまう儚さがファッションらしい動きでもあるが、それでも自分のスタイルを変えずにじっとまた時がやってくるのを待つことが写真家のスタンスとして大切なことなのかもしれない。もちろんそれは彼らがアウトプットするメディアも常に時代によって新たなアプローチを仕掛けるという前提で成り立つこと。その前提条件があって90年代に台頭したモデルと写真家の共犯関係、2000年代に華やかな表現をみせた写真家とプロップの関係性、そしてそれらの反動として写真家の視点が痕跡として現れる2010年代の写真表現が巻き起こってきた。2020年代に突入したいま、一体次なるゲームチェンジはどのようなかたちであらわれるだろうか。

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