2022.06.23

【連載】ものと人のための補助線 #00 プロローグ:空気の写生

#ものと人のための補助線
PROFILE|プロフィール
角尾舞 / デザインライター
角尾舞 / デザインライター

慶應義塾大学 環境情報学部卒業後、メーカー勤務を経て、2012年から16年までデザインエンジニアの山中俊治氏のアシスタントを務める。その後、スコットランドに1年間滞在し、現在はフリーランスとして活動中。
伝えるべきことをよどみなく伝えるための表現を探りながら、「日経デザイン」などメディアへの執筆のほか、展覧会の構成やコピーライティングなどを手がけている。
主な仕事に東京大学生産技術研究所70周年記念展示「もしかする未来 工学×デザイン」(国立新美術館·2018年)の構成、「虫展―デザインのお手本」(21_21 DESIGN SIGHT、2019年)のテキスト執筆など。
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プロダクトもグラフィックも空間も、もちろんファッションもデジタル領域も、デザインという概念が存在しないクリエイションはない。意匠の工夫も、使う人についての考察も、新鮮な体験の創造も、多くの物事は「デザイン」という言葉で語ることができる。生活のいたるところに、デザインはある。

これは、飢えた好奇心を満たすため、デザインライターの肩書を借りて活動する筆者が、日々人工物や新しい体験にふれ、聞いて、話して、調べるなかで得た所感を連ねるエッセイである。

#00 プロローグ:空気の写生

ありがたいことに、今月より連載をさせてもらえることになった。執筆業の人間ならば多くが憧れるだろう、連載という響き。「連載の締め切りがやばくて」とか、ずっと言ってみたかった。うれしい。とはいえ、実は指名での依頼ではなく「やってみた〜い」とあちこちで言っていたら、旧友がエラくなっていて、声をかけてくれた。ありがとう、ZOZO NEXTの田島くん。やりたいことは口に出してみるものですね。

しかし連載の枠はもらったものの、テーマがなかった。「連載したい」という憧れからのスタートゆえ、書く内容が決まっていない。「手段を目的にしちゃいけないよ」の典型である。田島くんにも聞いたところ「おまかせします」というありがたい話だったので「じゃあボードゲームについて書きたい」と言ったら「それはさすがに……」と却下された。なんでもよくなかった。いつか書くからな。

そんなわけで、少しこのメディアのテーマにも寄せることにした。日々自分が触れている、デザインについて書こうと思う。ZOZOという企業の中核をなすファッションやテックも、デザインから遠くない存在であるのは間違いないだろうから。

念のため最初に書くと「デザインとはなにか」という明確な定義は、自分にはまだできていない。時代や文化を反映した人工物の意匠や仕組みとも言えるだろうし、人々の購買意欲、いわば物欲を高めるための戦略とも呼べてしまう。言葉の範囲が広すぎて、使うのが難しい単語になりつつあるとすら思う(肩書にしている「デザインライター」は、かなり幅広い領域をカバーできるとも言える)。

わたしの「デザイン」という単語に対する強烈な記憶は、かつてのドコモのCMだった。妻夫木聡さんと蒼井優さんが出演していて、妻夫木さんが「彼氏を選ぶ基準は?」と尋ねたのに対し、蒼井さんが「デザインかな」と答えるもの。調べたら2008年の放映だった(セリフ等に関しては当時の記憶なので、あいまいな部分もある)。今から10年以上前に「意匠」の意味だけでなく、デザインという言葉がお茶の間で使われているのはとても新鮮だった(あとたぶん、すごく共感したのだと思う)。

偶然にも2008年は、恩師であるデザインエンジニアの山中俊治先生が、わたしの母校の慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に教授として着任した年でもある。山中先生は、JR東日本のSuicaをはじめとする交通系ICカードの自動改札機の読み取り部をデザインしたことで有名だけれど、スタイリングだけでなく体験部分のデザインの重要性を一貫して伝え、実践している方だ。ちなみにデザインについては「人工物あるいは人工環境と人との間で起こるほぼ全てのことを計画し、幸福な体験を実現すること」と定義していた。

デザイン分野のライターとして仕事をしていると、「我こそはデザイン!!!」と叫んでいるようなプロダクトやサービスに触れる機会も多い。研ぎ澄まされたシンプルな意匠であれ、豪華絢爛な装飾であれ、デザイナーの意図や美意識がすみずみまで行き渡ったものは、最終的にどんな定着の仕方でもなかなか主張が激しい。それを個性やスタイルなんて呼ぶこともあるけれど「個性を消すための個性」みたいなものすら存在しているから、一筋縄ではいかない。おもしろい。

デザインについて書くということは、その形状や色や素材についての解説という要素はもちろん、今の時代にそれが作られる意味や理由、そしてデザインに携わった人々の想いや物語を言葉に残す役割がある。しかしそれに加えてわたしが試みているのは、もっとあいまいな、そのものの周りや空間に漂う印象や存在感をどのように言葉という制約に落とし込むかで、それはまるで空気を写生するような、煙を掬い取るような作業だとも思う。

このような姿形のない部分を書く場合には、どうしても主観が混じることへの抵抗感も、言語化の必要のない部分をわざわざ書き起こしているのではないかという不安もある。それでも、仮設的な空間は簡単にもとのホワイトキューブに戻るし、量産品だっていつまで身の回りにあるかはわからない。過去に失われてきたものがたくさんあるように、すべての人が見たいものを今後ずっと見られるとは限らない。だから、デザインについて書いているのかもしれない。デザインとは、人の生活の証だから。

同じ時代に生きる人にとっては人工物を捉えるときの補助線になるように、そしてもし未来の人にも届くならば、過去を紐解く小さなヒントとなるようにと願いながらタイトルをつけた。「もの」としたのは、人が関わる生産物全体を捉えてもらいたかったからだ。ふと思い出したときに、読んでもらえたら幸いである。

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